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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■5周年! ……タイトル考えなくていいのはラクだ(^o^)。
 今日で日記を書き始めてまる5周年。
 実は「5年続いたら1回そこで打ち切って止めようかな」とか考えていた(3年だったかもしれない)。モノゴトには始まりがあれば終わりもあるので、そのあたりですっぱりと終わるのがキレイでいいかなとか、ナルシスっていたのである。
 でも実際には中断があったりとか、ホームページ立ち上げることになって、コンテンツあちこちほったらかしたりとか、今ここでやめるのも中途半端、みたいな感じになってしまったので、全然キレイじゃないのであった。そのあたりがかえって私らしいとも言えるんだが。今は「10年ですっぱりやめようかな」という気分に切り替わっているが、これもどうなるか分らない。10年経ってもまだ続けているかもしれないし、明日いきなりやめてしまうかもしれない。
 この五年の間、ネット上でいろんな人と知りあったが、せっかく楽しい日記を書かれていたり、豊富なコンテンツを持ったサイトを開いたりしていた人でも、何か事情があったのだろう、急にふっつりと更新がなくなり、サイトを閉じてしまった、という方も結構いらっしゃる。理由は憶測の域を出ないのだが、単純に忙しくて書くヒマがなくなったとか、ネット依存に陥って家族の反対にあったとか、向上心のあまり自分の書く文章の拙さに嫌気がさしたとか、誰も自分の書いてる文章を面白がってないのじゃないかと疑心暗鬼に囚われたとか、批判に晒されてメゲたとか、いろいろあるのだろう。
 逆に言えば、私がこうして続けていられるというのは、始終ヒマだし、家族の反対もモノともしてないし、向上心なんてカケラもないし、実は自分の文章に多大な自信を持っているし、批判はするやつの方がバカだと思っているのかもしれない。なんか究極のイヤなやつという感じである(念のため言っとくが、私ゃそうそうヒマでもないし、自分の文章には自信なんて持ってないし、批判するやつがバカだとも思ってないよ。向上心がないのは当たってるが)。
 これも何度か書いてることであるが、私はこの日記を「誰かに読んでもらいたい」とか「自分の意見を世に知らしめたい」と思って書いているわけではない。もしそんなつまらん自己顕示欲で始めたものであるなら、読者のあまりの少なさに絶望して、とうの昔にヘコんで書くのをやめているだろう(実際、お客さんは一日に五十人ほどしか来なくて、しかも半数が「通りがかりさん」なのである)。
 ……私がこう言うと、猿な脳ミソしか持ってない連中はすぐに「でも誰かに読んでもらいたいんじゃないなら、書いたりしないでしょう」と突っ込んでくるのだが、別に日記を書く書かないに関わらず、そんなこたあ、コトバを持ってる人間ならアタリマエの欲求として誰のココロの中に存在しているものなんであって、そういった人間の基本的な表現欲と、「読んでもらうことで人に認めてもらいたい、誉めてもらいたい、崇められたい」とする低劣な上昇志向とは全く別種のモノである。水と油と言ってもいいその両者の区別もつかず、いかにも伝家の宝刀を抜いたかのごとくそれを批判の手段として成り立つと思って主張するヤカラが、やたらいるということは、つまりはそれを主張する人たちが取りも直さず、「自分は他人を嘲笑い蔑むことで生きているのだ」と主張しているのと同じことだ。この手のセリフを吐いた途端に、「この人はホンモノの下司なのだな」と相手に知れてしまうので、ちょっとでもアタマの働く人間は(あるいは「対話」の意味を知っている人間は)絶対にこんな言葉遣いはしないのだけれども、いいトシしたオトナでも、こういうことを平気で口にする場合があるから、なんかもう、情けなくなってしまうのである。
 言うまでもないことだが、これはただの日記である。ウェブ上で公開されてはいるが、プロの書いた面白い読み物なんかじゃ毛頭ないし、読んでタメになるようなことも一切書かれていない。好きな本を読んだり、映画を見たりして、日常のなんちゃない出来事をテキトーに綴ったりしただけの、陳腐な駄弁りに過ぎない。だから続いているのである。
 日記がなかなか書けないなー、なんて悩んでいる全国の諸兄諸姉、リッパなこと書いて誉めてもらいたいとか、余計な邪念を抱いてはおられませんかね?(^o^)
 


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08月03日(火)
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