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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■座敷わらしの末裔
 目覚めてもまだ、昨日の湯浅憲明監督死去のショックが尾を引いている。
 何だかフッと魂が抜けたような、そんな感覚。平田昭彦さんが、天本英世さんが亡くなった時も、こんな感覚に襲われた。後進に何かを語れるほどのナカミも築き上げられてはいないのに、敬愛する先輩たちが次々と去っていかれる。みんな私を置いていく。『ポーの一族』ではないが、そんな心境だ。
 それでようやく気がついたのだが、私はまだ、「昭和ガメラ」の続編が湯浅監督の手によって作られることを期待し続けていたのだった。
 もちろんそれは無意識の領域でであって、理性で判断するなら現実にそれがありえないことは承知している。『宇宙怪獣ガメラ』を見れば、1980年の時点で湯浅監督にそういうパワーが無くなっていたことは歴然としていた。
 それでも私は(いや、多分全ての「昭和ガメラ」ファンは)、「ジグラ」との対決がガメラ最期の戦いではないと信じて疑わなかった。197“2”年度作品として作られる予定だった『ガメラ対双頭怪獣ガラシャープ』も、湯浅監督がきっと「完成」させてくれるものと思いこんでいたのだ。理屈ではない。ある意味これは「信仰」に近かった。晩年の本多猪四郎監督の『ゴジラ』復活は期待していなかったのに、湯浅監督には無条件で全幅の信頼を置いていたのだから。恐らくそれは、湯浅監督があちこちで語っていた怪獣映画への情熱を聞いていたからだろう。80歳で映画を撮った監督はいくらでもいる。70歳なら、まだまだだ。そう思っていたのに。
 一人、また一人と先達をなくしていくにつれ、「信仰」を私たちは捨てざるを得なくなっている。ひたすら寂しい。


 時折、アタマの中がホワイトアウトしたみたいに「ぼおっ」としてしまうのだけれども、今日はキャナルシティで劇団四季のオリジナルミュージカル、『ユタと不思議な仲間たち』の公演を見にいく日なのである。ぼおっとしてるから、で休むわけにはいかない。
 家を早めに出たので時間は充分にある。「大東苑」で焼き肉を食べて(もちろん大半はしげの胃の腑に納まっている)、しげのショッピングに付き合う。この間からしげは髪止めに凝り始めたので、好きなのを一つ、二つ、見繕う。
 「金魚柄に凝りようと」と言ってしげが選んだのは、まさしく金魚鉢の中に金魚が浮いているようなプラスチックのボール二つを、ゴムでつないだもの。歩くと、そのボールの中の金魚が揺れて見える、という仕掛けである。洒落ているというよりはなんだか玩具っぽいが、色っぽいのはしげには全く似合わないので、こういうののほうがいいのだろう。

 ふと、イベント告知のポスターが目について、しげの目が丸くなる。何と今度の土・日曜日に、USJの「ブルース・ブラザース・ショー」がここキャナルシティであるというのだ。
 当然しげは見たがるものと、「行きたいなら、行こうか?」と水を向けたのだが、なんだかしげの様子がおかしい。眉間にシワを寄せて、首をぐるんぐるん回し、どうやら悩んでいる風である。何を悩む必要があるのか聞いてみるとこういう返事である。
 「……だって、ニセモノだし……」
 そりゃ、ホンモノであるわけがない。第一、片方は本物だって亡くなっている。「じゃあ、行かない?」と聞いたら、「行く!」と即答する。
 「ああ、でも、ニセモノだとわかってるのに見たいって思うのは、ダンに悪い? タモリのファンなのにコージー富田で我慢しようってそういう感じ? それってファンとしてダメってこと? ああ、でももしダンに全然似てなかったらどうしよう」
 ……まあ、好きなだけ悩んでつかあさい。

 開演20分前に福岡シティ劇場へ。
 今回の『ユタ』は、キャナルシティ8周年記念のご招待公演。5000円以上キャナルで買い物をした人がレシートを集めて応募すると、抽選でチケットが当たるというキャンペーンをやっていたのである。私も本やら本やら本やらを買って7通ほど応募したら見事にペアチケットが当たったのであった。

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07月21日(水)
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