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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■「似て非なるもの」の休止
 休日明け、いきなり世間は夏である。と言うのも、先週末までは鳴き声ひとつ聞こえなかったセミの野郎がいきなりワシャワシャ鳴き出したからだ。なんかねえ、セミは成虫になって2週間で死ぬってえからねえ、言ってみりゃ、毎年我々は「断末魔」の合唱を聞かされてることになるのだけれども、だからって涼しくなるどころか、ひたすら暑苦しく感じるだけなんだから、なんだかもう、サッサとくたばって欲しいって気になってくるのである。中にゃ、10月近くまで鳴いていて越冬するんじゃないかってくらいしぶといセミもいるからね。
 岩波文庫の『イソップ寓話集』を読むと、巷間知られているところの『アリとキリギリス』の話は『蝉と蟻たち』となっている。『伊曽保物語』でもそうで、もともとは「セミ」が正しい。
 原話の母国であるギリシアにはセミがいたのだが、これがフランス、ドイツに伝播した時に、コオロギやキリギリスに変更されたものだとか。(詳細は右サイトを参照のこと→http://www.geocities.co.jp/Bookend/9563/grasshopper/Grashopper.html
 ロシアじゃ「トンボ」だってえけど、トンボって鳴くのかよ。いやまあ、羽音なんだろうけど。日本とロシアとじゃ、トンボの種類も違うんだろうか。トンボならまだしも、蟻とセンチコガネ、蚊とミツバチ、雌鶏と狐になってる例もあるらしいが、センチコガネは働き者じゃないってことなのか。よく分からん感覚なのである。
 日本にはコオロギもキリギリスもいるけれど、もともとセミだっているわけだから、「蝉と蟻」でもよかったような気がするが、「遊び人」のイメージはセミよりキリギリスだったんだろうかね。美しい音色を聞かせてくれるキリギリスより、クソやかましいセミが懲らしめられる方が日本人としては溜飲が下がる気がするのだが。


 気がついたら、曽我さん家族が再会してて、選挙も終わっちゃってたけど、なんだか全く何の感慨も浮かばないのである。
 「事件」には興味を引かれても、もともと「政治」にはとんと目が向かないタチではあったが、もう拉致云々については、何がどう動こうと政治屋さんたちの稼ぎのネタにしかならないんじゃないかとシラケちゃってるのである。
 曽我さんとジェンキンスさんの熱烈キッスの写真がデカデカと載ってる新聞を、車の中で読んでそのままフロントにほったらかしにしてたのだが、しげがイラつくこと。
 「運転してたら、ジェンキンスさんの顔が真正面にあるんだよ。どけてよ」
 なんだか、新聞がジャマっていうより、曽我さんジェンキンスさん二人がジャマって言ってるように聞こえて、随分シツレイな話である。
 

 さて、本日もまた会議だったのだが、トンガリさん、出勤自体しなかった。やっぱり連絡はナシの無断欠勤である。
 前回に引き続き、トンガリさんの仕事の不始末をいかにして解消するか、というのが議題であったのだが、ひととおり資料はまとめて、トンガリさんにも事前に渡してある。トンガリさんがどれだけいい加減な仕事をしてきたのかという資料だから、それに目を通していれば確かにとても顔を出せた義理ではない、というのも当然なのだが、どうせ、目を通さないままただ逃げてるだけに違いないのである。仮に目を通していたとしても、ナカミはケロッと忘れてしまっているだろう。いや、これは私の憶測ではなく、これまでにも資料を渡すたびに説明をしているのだが、次にそのことについて問い質すと、何一つ覚えていなかったこともしばしばなのである。
 なに一つ、自分のしでかしたことについては反省してはいないし、ただその場限りのウソをついてゴマカそうとするばかりなのだが、そうやっていつまで逃げ回っていれば気がすむのだろうか。いや、逃げているという意識すらないのか。
 私も、疲れてるのを通りこして、いい加減イヤ気が差してきているのだが、上司はいつまでこのイカレたすっとこどっこいを放置しておくつもりなのだろうか。私はもうそろそろ手を引きたいんだけれど。


 それでも今日は定時に帰れそうだったので、迎えに来てもらえるかどうか、しげに連絡を入れる。

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07月12日(月)
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