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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■通りすがりさんはどこをどう読んでるんでしょうか。
ここ数日で、一気に日記のカウンターが回ってしまい、76000、77000のキリ番もアッという間に過ぎてしまいました(^_^;)。
掲示板にも書いていたことだけれども、キリ番報告のあった人には、「福岡限定・ハローキティのミニタオル詰め合わせ」(3点セットくらいにしようかと思う)をお送りしようと思っていたのだけれども、これだけ「通りすがりさん」がいっぱいだと、住所を教えてくれそうな人に当たる確率はかなり低くなりそうだ。さすがに同級生殺人事件直後の800人近くのアクセスは記録しなくなったけれども、それでも今日だけでもまだ300人以上の人が覗きに来ているのである。
けれど、どうやら「見つからない」と騒がれていた加害者のホームページも発見されたようだし(親、消しとけよ)、私のホームページをきっかけにそこを探しあてようというヤカラも減って行くとは思うのである(だから私ゃ事件の関係者でも何でもないんだから、探そうとしたってムダだってば)。
もう少ししたら、この状況も大人しくなっていくだろうから、そうすればキリ番もゲットしやすくなりましょう。実はキティちゃんの隠れファンで虎視眈々と狙っていらっしゃるお方も、もうしばらくお待ち頂けたらありがたいです。
「興味がない」とか何とか言いながら、「日記がそこにある」ことがわかれば、覗いてみたくなるのは人情である。
私も一部、その加害者少女の日記(らしきもの)を見てみた。散見してみただけだが、コジツケようと思えば、事件にコジツケられる文章がないわけではない。しかし、事件を全く知らない人に、「この日記どう思う?」と聞けば、「別に普通じゃん?」と答えるだろう、と思われるくらいに普通の、小学生の文章である。
事件前日は大久保小学校の運動会だったようだ。加害者少女は「今日運動会だったんだけど、バナナの皮で滑ったら・・・・・(ウソ)移動中にこけました。ギャグ漫画並みにずるっと。」と書いている。殺意を心に秘めながら、こういう普通の文章をサラリと書ける恐ろしさ、というよりも、少女にとっては、「殺人」もまた日常の延長線上にあったのだろう。あるいはせいぜい「運動会」と同列の「ハレ」のものか。まさしく、こういう子供たちはいくらでもいるし、彼女だけが特別ではない(「異常者」だという意味では明らかに「違っている」のだが、こういう子は平凡に遍在しており、決して少なくはないということである)。
ニュースで報道された日記の一部、「苦汁、絶望、苦しみが私を支配する」という部分だが、これも全文を読むと、「けれど、全てと戦い、闇を葬り光とこの身の有り難さをそのぶん欲したい。」と前向きな言葉があとに続く。しかしその「前向きさ」は、「殺人」という行為と全く矛盾なく少女の心の中に存在している。「光と闇の戦い」という、ありきたりなファンタジーのタームが、現実的な検証もなされずに日記の文章に綴られるあたりは、彼女の人生が未だ「借り物」に過ぎなかったことを思わせる。「借り物」だから、それが大人の眼から見れば言動不一致に見えても、彼女の心の中ではさしたる葛藤も見せずに存在しえていたのであろう。けれど、「借り物の言葉」しか喋れず、数々の自己矛盾にも気がつかない人間は、大人だろうと子供だろうと、今や当たり前になって来ているのだ。
昨日までの日記にも書いたが、彼女のような存在を「排除」しようとすることは事件の再発を防ぐことにはならないし、そもそも不可能である。あなたの隣にいるいたいけに見える女の子もまた、ひとつ道を違えれば、あの子のようになってしまう……どころか、あなたが「彼女」になってしまう可能性だって、否定はできない。確かに一生、何の事件も起こさずに一生を終える人間もいるし、そういう人間と、犯罪者との間の距離は果てしなく遠いとは言えるのだが、同時に限りなく密接してもいるのである。
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06月05日(土)
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