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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■テレビドラマも映画も本も関係ない。
御手洗怜美ちゃん殺害事件の犯人の女子に、付添人に選任された弁護士が初めて接見。そのときの会話の内容を弁護士たちが会見を開き、報告した。これがまた、耳を疑うような内容だったんだけれど、ホントにホントなんだろうか?
曰く、犯行については、「なんでやったのか。よく考えて行動すればこんなことにならなかった。(怜美さんに)会って謝りたい」。
これからどういう人生を歩きたいか、という質問に対しては、「普通に暮らせればいいんだけど……」。
まあ、ここでウソをつくわけにはいかないのだろうけれど、これを聞いた人の大多数が、犯人の女子に対して怒りを覚えると思うのである。
「よく考えて行動すれば」って、よく考えた末の行動だったんだろうがよ、四日も前に殺害するつもりだったんだから。もちろんこれは「受け売りの言葉」であって、本人の心の言葉ではない。多分、親か教師が日頃から「よく考えて行動しなさい」とか言ってたんだろうけれど、本人はそれを今の状況に合う言葉かどうかよく吟味もせず、機械的に流用しているだけである。いたずらをして叱られた小学生の反省文によくあるTPOを間違えた発言の一つに過ぎず、ここに「意味」は存在していない。
「会って謝りたい」という言葉も同様で、もちろんこれは「自分も死んでお詫びしたい」という意味ではありえない。仮に正確にこのような言い方をしたのではなくて、「会えるものなら会って」だったとしても、「謝ることが不可能な相手」に対して「謝ろう」とする発言は、「謝れない相手にしてしまった」のは紛れもなく「自分自身」であるという事実から目をそむけようとする心理が深層で働いている。真実の反省の言葉ではない、というよりも、実は自分の犯罪について何の後悔もしていないと断言して構うまい。だから弁護士の見え透いた誘導尋問に対して、「普通に暮らせれば」などと、本音を漏らしてしまうのである。
……思うんだけれど、この弁護士たち、本当はこの犯人女子を熱心に弁護するつもりなんてないんじゃないのかな? いや、そもそも刑事犯として裁かれることはないのだから、自分たちの点数には全く関わらないのである。犯人女子が世間からどう恨まれようが、本名や顔写真がネットに流されようが、構わないわけだ。そうでなければ、いくらでもボカして説明できることを、こんなにあけすけに言うものだろうかね?
いや、私だって、この犯人女子に対して憤りは覚えている。だからと言って、弁護士がこんな犯人バッシングを誘導するような会見を行っていいものなんだろうか。それはまた別の問題だと思うんだけれど。それともこの弁護士たちも「何も考えていない」のか?
テレビもまた、この手の事件報道の定番、「昔の文集」をどこかから(同級生だった子の誰かからだろうな)発見して放送している。
それによると、被害者の怜美ちゃんの趣味は読書、パソコン、音楽鑑賞で、好きな小説は時雨沢恵一の『キノの旅』、井上雄彦の『スラムダンク』(小説じゃないじゃん)で、犯人女子は趣味がパソコンで、好きな小説は吉村達也の『ボイス』に、高見広春の『バトル・ロワイアル』だそうな(小説読んでなくて、映画のタイトル書いただけじゃないのか?)。
なんだかもう、この対比の仕方で、被害者の怜美ちゃんは心優しく友情に厚いよい子で、対照的に犯人女子は、心に危険なものを隠し持っていた怖い子供、という印象を与えたがっているようである。いや、マスコミの「標的」は、犯人女子ではなく、やはり「危険なマンガやドラマ」なのである。
実際に、女子は『バトル・ロワイアル』もどきの小説をホームページで書いていたというから、あの映画に「影響」は受けていたのだろう。しかし、たとえ“その通りであったとしても”、『ボイス』や『バトル・ロワイアル』を見ても犯罪に走らない人間のほうが圧倒的に多い以上は、それらに責任を転嫁してはならないのである。異常者は、たとえ宮崎駿の映画を見ようがディズニーの映画を見ようが、罪を犯すものである。
マスコミが「責任転嫁」の躍起になっている様子は、実際「そりゃいくらなんでもコジツケだろうが」と言いたくなるくらいに迷走している。
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06月03日(木)
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