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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■年齢は関係ないのだ。
昨日起きた、長崎県佐世保市の大久保小学校で、6年生の御手洗怜美ちゃんがカッターナイフで首を切り付けられ殺害された事件の続報、今日もニュースの半分以上を締めている。
まず、全ての報道がそうではないのだが、いくつかのテレビニュース、新聞などが「殺された」と言わずに「死亡した」とか、まるで怜美ちゃんが死んだのは偶然の事故で、「うっかり死んじゃった」ような表現をしていることが気になる。これは、あまりに事件が陰惨なので、「表現をやわらかくした」ということなのだろうが、やはり「偏向報道」であり、一種の「情報操作」であることには違いないと思うのである。
いつもいつも思うことだけれども、一見、加害者の人権を擁護するように見えるこういう偽善的な報道が、かえって、世間の加害者に対する反感を募らせることになると、マスコミはどうして気付かないのだろう。「殺された」と言えば、当然、「そこまで言わんでも」という反応や、「使者に鞭打つ行為である」という批判は寄せられるだろうが、反感は生まれない。事実を隠蔽するような報道は、かえって視聴者の感情を鬱積させたり、ヒステリックな反応を牽引したりしかねない。事実は事実として冷徹に報道したほうが、よっぽど視聴者は冷静でいられると思うのだが、マスコミはあえて視聴者の神経を逆撫ですることを狙っているのだろうか。
殺害の動機についても、少しずつ、情報が流され始めた。昨日の段階では、私は「痴情のもつれだろう」と書いたが、一応、当たってはいたようだ。しかし、私が想像していたのよりも、ずっと幼稚で、馬鹿馬鹿しい動機だった。
「インターネット上で、自分のことについて怜美さんが書き込んだ内容が面白くなかった。いすに座らせて切った。殺すつもりだった」……何なんだろうね、これ。
実のところ、「痴情のもつれ」と書いたのには、「せめてそうであってほしい」という「願望」もかなり混じってはいたのだ。人ひとりの命を奪ったのである。それがあまりにもガキっぽい、あまりにも下らない動機では、救いがないではないか。……でも、やっぱり救いはなかったのだ。
けれど、現実には「こんなことで人を殺すかよ」という殺人事件は、大人の間でも腐るほど起きている。幼児化した社会で幼児的な犯罪が起きるのは必然なのだろう。
なのに、マスコミの報道の仕方は、相も変わらずの「責任転嫁」である。未成年の犯罪の場合はたいてい「親」や「教育」、「マンガ」や「ゲーム」、「アダルト本」など、「犯人以外のところ」に原因を求めよう、求めようとして、「標的」を探し回るものだが、今回は早くも「ネット危険論」が怒涛の勢いで報道され始めたのだ。自宅ばかりでなく、学校や塾などに、パソコンネットが普及していること自体が悪い、みたいな語られ方までしている。ネットを散々利用しているマスコミがそれを言うのかよ。近視眼的で一番幼児的なのはマスコミである。
もうねえ、今更また何度もこれまで書いてきたことを繰り返すのも何なんだけれどもねえ、危険なのは「ネット」とかではなくて、「人間」なんだってば。「環境が悪い」って言い出せば、全部が悪くなるんだよ。山ゴモリしてカスミでも食って生きろとでも言いたいのか。
私も、これまでにもこの日記で、誰かの批判をしたことは腐るほどある。「なんだあいつらは猿か」と、口汚く罵ったことだって、一度や二度ではない。しかし、根拠のないただの中傷をしたことは一度もないし、何の覚悟もなく、言いっぱなしでモノを言ったこともない。もちろん、私が「根拠がある」と思っていたことがただの勘違いで、反論が寄せられた場合も何度となくあり、その場合には必ず謝って訂正をしている。私が反省してないと見る向きは、それこそが「中傷」である。
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06月02日(水)
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