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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■手術決定&女の子の国
行きつけの眼科がアテにならないので、もうちょっと大きめの眼科に出かけてみる。
位置的に行きやすいところでもないのだが、住宅街に近いせいか、かなり繁盛している様子で、土曜日の午前中ということもあってか、待合は満員で、ざっと4、50人の患者さんが待っている。いつでも閑古鳥の行き付けの眼科とは雲泥の差だ。
かなり待たされて、両目とも眼底検査、最初は女医さんに診てもらって、そのあと院長先生(意外と若い)に回された。
即座に「網膜に変成が見られます。予防が必要でしょう」と、先の眼科医とは全く逆のことを言う。こちらは一も二もない。今日はもう手術は無理ということなので、ちょうど来週の火曜、糖尿病の3ヶ月検診があるので、その日の午後に治療を受けに来ることにする。治療費、またたっぷりかかるんだろうなあ、と思って聞いてみたら、前の眼科の半分以下。金額にしてン万円も安かったのだ。
あああ、あの医者、ボッてやがったな。義理があってずっと通っちゃいたのだが、もう信用ができない。もう二度と行くまい、と決心したが、いささか遅きに失した感はある。義理だの人情だの、現代人にとっちゃ、足枷にしかなってないよなあと痛感することであった。
『週間文春』の林真理子さんのエッセイで、宅配の寿司が異常に不味かったので、その寿司店の社長にクレームをつけた話が載っていたが、しげはそれを読んで「この人って『客人生』しか歩いてきてないよね」と言う。
確かにクレームをつけることが生きがいなんじゃないかと思えるような品のない客はいるが、林さんの場合はそれほどでもない。社長に偶然会ったので、つい文句を言ってしまったが、ご本人が、「鬱陶しいオバサンになっちゃった」ということは自覚していて、自嘲しているのである。それに比べて、「芯のある米で握った寿司」を2時間遅れで宅配した寿司屋は、「商売人の自覚のない」と批判されても当然だろう。現実にそんな腐れた店は腐るほどあるのである。
「お前、仮にも店を構えてるんだろう、大学祭の出店のタコ焼きみたいに、生煮えベチャベチャ、食えたシロモノじゃないってレベルと同等でどうすんのよ」と思った経験はみなさんにはないだろうか?
いちいち目くじら立てるのもなあ、とガマンをしていれば、相手は「これで許されているもの」とつけあがる。基本的にサービス業であることを忘れてしまっているのだ。老舗だと自惚れている店ほど、そういう傾向がまま見られる。いやね、職人気質でガンコでも、美味けりゃ文句はないけどね、不味いもの食わせといて「不味いと言うな!」というのはただの傲慢でしょう、ってことなんですよ。「不味いなら食うな!」というのも的外れの批判で、そのイカレた逆ギレぶりが情けない限り。美味いか不味いかは食ってみなけりゃわからんという当たり前のことがもうわかんなくなってるんだよねえ。
店には店の、客には客の、「分」というものがあるのだ。それがわからなければ、お互いに見限られても仕方がない。繁盛する店とそうでない店の差というのは、ホントにごくごく基本的な客あしらいで決まってくるところがある。私がウェイター、ウェイトレスの「よろしかったですか」という口調に不快感を示すことを避けないのは、それが客をバカにしている言動であることに気がついた人間なら。みながみな、言い続けなきゃいけないことだと思うからである。「クレームをつけるのもみっともないからやめよう」という判断は美徳ではあるが、既にそんな美徳が察せられる人間も死に絶えつつあるのだ。まあ死んでいいって思ってる人もいるんだろうけれどもね。
昨日からまたまた「どうしたらしげは家事をするようになるか」ということを延々と話していたのだが、ともかく「家事をしようとする」と、「失敗したらどうしよう」という妄想がしげの活動を規制してしまう。なにもあれもこれも全部やれと言ってるわけではないのだから、とりあえず「食事と掃除と洗濯だけでも毎日するようにしたら」と何百万回も繰り返し言ってたことをまた言ったら、「じゃあ、食事と掃除だけする」と言う。これも何度もしげがそう言っては守れなかったことなんで、たいしてアテにはできない。
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05月29日(土)
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