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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■横山光輝の死。いったいいつまでこの訃報ラッシュは続くのか。
昨15日、日記を書いてアップした直後に、マンガ家、横山光輝氏の訃報を知る。まただ。こないだうちに遊びに来た知り合いが、本棚の『バビル2世』を取って熱心に読み耽ってるのを見て、ふと「横山さんも長くないかも」とか思ってたんだが、まただ。もうなんだか人生なんてどうでもいい気がしてきた。人はどうせ死ぬのだ。
闘病生活が長く続いていたが、寝タバコが原因で起きた火災のために全身をやけどして亡くなったという。なんでそんな下らん死に方を。なんでそんな苦しい死に方をしなければならない。やりきれない。どうにもやりきれない。享年69。遺作は未完に終わった『殷周伝説』か。
『殷周伝説』の「絵」は無残だった。闘病明けとは言え、全くと言ってよいほど閉塞線が描けず、目も鼻も口も線が震えていて、笑ってるんだか泣いてるんだか分らないような顔まであった。ストーリーテリングも、『三国志』以降は単調で、お世辞にも面白いとは言えなくなっていた。悲しいことだがマンガ家としては既に終わってしまっていた。
横山さんはある意味手塚治虫以上にマンガの「記号」に忠実だった人である。普通、「表現者」は定型を嫌う。複雑な人間心理を描こうとすれば、自然、表現は定型の中には収まりきれない。抑制されればその中で蠢き、それを破壊し、新たな表現を生み出そうとする。しかし、そんなことには全く無頓着だった。全く別のキャラクターなのに、喜怒哀楽の表情は全て同じ。あるのはせいぜい男と女、善玉と悪玉の区別くらいのものである。その意味では横山さんは全く「表現者」ではなかった。
にもかかわらず、横山さんのマンガに我々が熱中したのはなぜか。まさに横山さんのマンガが「定型」で、揺るぎがなかったからだ。
横山さんがストーリーやキャラクターを既存の作品から数多く拝借していたことは周知の事実である。それは模倣、というよりモロに剽窃と言ってよいものも多かった。けれど昔はマンガに対する目が今ほどには厳しくなかったから、特に問題になったことはない。だいたい剽窃と非難するなら、石森章太郎も赤塚不二夫も藤子不二雄も少なからずやっている。横山さんが非難されやすかったのは、そのやり口が余りにロコツだったからだろう。この20年ほど、横山さんは殆どオリジナルを描かずに歴史原作ものばかり描くようになっていたが、それは恐らく、世間のマンガに対する目が厳しくなって、安易な剽窃ができなくなったからだろう。
多分、横山さんに盗作の意識はなかったと思う。元ネタは小説が多かったから、マンガにした段階で「換骨奪胎になっている」と自己評価していたのではないかと思う。そしてそれはあながち間違いではなかった。横山さんの「定型の絵」に元のキャラクターが嵌め込まれることによって、小説の複雑なキャラクターは単純化され、陰影を失ったが、それがかえって「マンガ」としてはよかったのである。アーティストぶったマンガ家が陥りやすい「思想」とも「芸術性」とも無縁でありえたために、ただひたすら「面白い」マンガを量産することができた。超能力SFあり、破滅SFあり、ロボットものあり、忍者ものあり、歴史ものあり、中国もの、馬賊もの、青春学園もの、少女もの……。たとえ元ネタがあったとしても、これだけ傾向の違うマンガを描き続けた人もそうはいない。横山さんのマンガはどれも「堂々と」していた。盗作者の後ろめたさなど微塵もなかった。だからまあ、正直な話、山田風太郎には横山さんのことをあまり非難してほしくはなかった。薬師寺典膳と阿魔野邪鬼は、決して同一人物ではない。
私と同世代のファンなら、みな『鉄人28号』の絵をソラで描けるだろう。ハッキリ言ってしまえば、ライバル手塚治虫に我々男の子は、実は『鉄腕アトム』一本の恩恵しか受けてはいない。他の作品は『ビッグX』も『ジャングル大帝』も『W3』も『どろろ』も、好きではあったがその時々の「ナンバー1」ではなかった。しかし横山さんの『鉄人28号』は、『伊賀の影丸』は、『仮面の忍者赤影』は、『バビル2世』は、いつも「ナンバー1」であった。
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04月16日(金)
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