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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■また訃報。立て続けだとちょっとツライ。
 六本木ヒルズの回転扉による児童死亡事故を受けて、アクロス福岡でも回転扉を畳んで停止したとか。畳めるものだったのか、あれ。
 誰か死者が出ない限り、何の対策も取らないというのは、一般常識から考えれば無責任極まりないわけだけれども、費用のことを考えれば、「事故が起きない限り何もしない」というのは企業でも官公庁でも変わらないもう一つの「一般常識」であるわけである。ためしにどこぞの会社に「おたくの会社のここのドアの建付けが悪くなってて危険だから新品と取り替えなさい」とクレームつけてごらんなさい。馬鹿正直にそんなことする会社はほぼ皆無でしょう。
 「常識」の怖さというのは、我々の本能を鈍らせるというか、分析と総合の力、もっと簡単に言えば、「考える力」を奪ってしまう点にある。全ての物事についていちいち考えなきゃならんというのも面倒臭くて仕方がないから、我々はそれを放棄し、代わりに「常識」を身に付けることで雑事にアタマを悩ますことから解放されているわけである。だから一概に「常識」の存在を否定するわけにもいかない。けれど、「そんなの常識でしょ!?」と主張する人間に、「どこが?」と問い質すと、たいてい絶句して答えられなくなるのは、それだけモノを考える習慣を人が嫌っていることの何よりの証拠でもある。
 そういう状況に人はみな慣れきっているから、一方の「常識」と、もう一方の「常識」がぶつかり合うということも世間にはよくあることである。そういう場合、片方、あるいは双方に「常識の再構築」が強いられることになるのだけれど、そこでモノワカレになって、結局「考えなしの常識」が放置されたまま、という事態に陥ることもしばしばだ。
 今回の回転扉の事故はまさにそれで、「回転扉は危険じゃない」という「常識」が極めて強固で、ちょっとやそっとの怪我人が出た程度じゃビクともしなかったということだ。これまでにも事故があるたびに、森ビル側には回転扉の問題点の指摘はされていたらしいが、結局撤去はなされなかった。「どうしてなのか?」という疑問は我々の常識であって、彼らの常識ではない。常識に理屈はないのだから、疑問を抱いてもムダである。彼らは「何も考えていなかった」のだから。
 マスコミが今回の事故をあれだけ大々的に報道しなけりゃ、「ヨソはヨソ」で、アクロスだって撤去しようとはしなかっただろう。詳しく報道されちゃいないが、アクロスでも絶対事故は起こってたと思う。悲しいのは、人は、「人死に」が出るくらいのことがないと自分の常識を疑えない、ということだろう。「常識」というか、「自分の作り上げた虚構の物語」にしがみつかないと生きていけない人間のサガの悲しさというやつである。
 ……ま、「人死に」が出たって自分の「常識」の方を優先するやからだって世の中にはいるので、今回の件は「まだマシだった」と言えるのかもしれないけれどね。


 最近、とみに外人さんからのメールが増えて、日に三十通、四十通来ることも珍しくなくなった。半年前は一ヶ月でその程度の量だったから、30倍くらいに増えた計算になる。最初のころはどんな外人さんが来るものやらと面白がってはいたけれども、こう増えるといちいちチェックするわけにもいかない。ウィルス含まれてるやつだってあるだろうと思ってウィルスチェックにかけると、ドンピシャで「感染してる可能性があります」と出る。もう面倒臭くなったので、開きもせずに片っ端から削除してたのだが、つい先日、「迷惑メールフォルダー」というサービスがあることに気がついた。細かい仕組みは分らないけれど、「ユーザーの承諾を得ずに一方的に送信される電子メールであって、その内容が出会い系サイトの広告やアダルトコンテンツサービスの利用料金の架空請求等のように、一般に受領者に不快感ないし、不安感を抱かせることが多いもの(迷惑メール)を、その時点で妥当と判断する基準に基づいて自動的にフィルタリングし、ユーザーへの配送を防止する」んだそうな。早速ためしにやってみると、見事に外人さんからのメールが全てフィルターの中に寄せられてしまった。うーん、やっぱり個人的にお近づきになりたいという外人さんはいなかったのだなあ。もしいたとしても日本語でメールくれるものだろうけどね。

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03月29日(月)
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