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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■ポエムは人生を語る。
 昨日、アクロスとかでも回転扉の事故が起こってたんじゃないかと書いたけど、やっぱりその通りだった。平成9年からこっち、“少なくとも”4件の事故があったとか。……絶対、そんなもんじゃ済んでないよな。挟まれたり転んだり、被害者はたいてい子供か老人らしいが、そういう事故が起こってもずっと放置してたってことが、この社会の「子供と老人は邪魔者」感覚が蔓延してることの証拠なわけである。どこがバリアフリーだ。
 若いことやカラダが頑健なことを絶対の価値のように思ってる人間って多いけど、それってただの傲慢だし、健康なことがそんなにえらいんかい、と文句の一つくらいつけたくなる。人間みんなトシ取るし、一生健康でいられる人間なんて稀だろう。その程度の想像力もケツラクしてる人間がモノ作ってるってのが腹立たしいんだけど、「そういう人間しかいない」んじゃ、どうしようもないのである。
 シーホークはもっと被害者が出てたらしい。多分、今後しばらくは回転扉は激減して行くと思うけれども、こういう時こそ「回転扉を発明したのは誰か」みたいなトリビアを誰かが披露してくれないものかな。どんな理由であんなイカレたものを開発したのか、知りたいものである。


 文部科学省が、来春から使用する小学校教科書の検定結果を発表。
 前回の改訂では「ゆとり教育」の一環として、その内容が大巾に削減されて物議を呼んだのだが、「学力が低下する」との批判を受けて今回はそれらの内容が「発展的内容」として掲載されることになった。具体的には、「台形の面積を求める公式」(5年算数)などが復活、「食物連鎖」(6年理科)、「縄文時代」(6年社会)などの中学レベルの内容も許容されている。
 受験競争華やかなりし頃は「もっとゆとりを」と文部省の「積めこみ教育」を批判してたくせに、いざ、ゆとり教育が実施されると「学力低下」を訴える世間の身勝手さには呆れ返るしかないが、実際、昔も今も親バカのレベルに変化はない。学校に教育を依存してる時点で自分がダメ親であることを自覚したほうがいいと思う。
 だいたい、「ゆとり教育」の目的は生徒をのんびりさせることが目的なんじゃなくて、空いた時間を使って勉強したいヤツは自分でどんどん勉強するように、という意図で導入されたものだ。ところがフタを開けてみたら殆どの生徒が土曜の休業日に勉強なんかしなかった。結局、教育なんて押しつけられ、強制されなきゃ大多数の人間がやらんということが分かったのである。リベラリストはすぐに自由にさせりゃ人は自分から知識を求めるようになると主張するけれども、そんなのは幻想にすぎない。子供の90%はただのバカで、いくら時間を与えたって、遊ぶことしか考えないものだ。そんなことにも気づかなかったバカ親が世の中に蔓延してるから、教育改革がいつまで経っても進まないのである。
 文科省もせっかく批判されてるんだから堂々と「積めこみ教育を復活させる」と言い切っちゃえばいいのだ。でもって、勉強に付いてけない「落ちこぼれ」は切り捨てて、どんどん落第、退学させる。世の中は中学浪人、高校浪人やプータロウで溢れかえるだろうが、無視すりゃいい。「自分たちが主張してること」がどんな意味を持っているのか、ちっとは世間のバカ親どもに思い知らせてやればいいのである。いいじゃん子供が遊び呆けたって。
「積めこみ教育」をしようが「ゆとり教育」をしようが、自分のバカガキはバカガキのままで勉強なんかしないって事実を思い知らせてやればよろしい。


 今日明日は仕事休み。またすぐに忙しくなるからちょっとしたひと休憩にしかならないのだが、その間に少しでもホームページを更新させようとするのだけれど、資料をちょいと見返したりするだけで時間が怒涛のごとく過ぎ去って行く。つか資料を本の山の中から探し出し、引っ張り出すだけで時間かかってる気がする。
 本棚に納まりきれない本や荷物はダンボールにぶちこんでいるのだけれど、それを開けたり、その奥にある本を取ろうとしてどけたりしているうちに、いつのまにか部屋の奥地へと入りこんで今度は自分が出られなくなってしまうのである。自分ちで遭難してんじゃねーよって。

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03月30日(火)
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