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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■追加日記1/『サブカルチャー反戦論』(大塚英志)
昨日の日記に書き忘れてたことだけど、先月メールを送って来てくれた外国のお友達の数、なんと67人。先々月の三倍に増えている。
うーん、何が原因だかは分からんけれど、それだけこの日記の注目度が高くなってるってことなんですかね。スパムメール送りつけられるようなレベルでの人気ですが(^_^;)。でも内容は相変わらず圧倒的に「あなたの○○○○○を○○○○○○○○せんか?」というものばかりなんだな。どうしてはるか海の向こうの人が、見も知らぬ私のナニの心配までしてくれるのか。世の中、親切な人がいっぱい増えてることである。
日本人の見知らぬお友達からも、もちろんメールは来てるけれども、昨日来たのはこんなの。
> ケイコです。ひさしぶりー憶えてる? 最近携帯変えたの。綺麗な写メ撮れたんで送ります。見てみてね。
「写メ」ってなんだ? と迷ったが、これ、「syashin しゃしん」と打とうとして、「syashime しゃしめ」って打ち間違えたのだろうか? ちょっとムリがある気はするが(あとで「写メール」の省略形だと気がついた。ちょっと語感が悪過ぎやしないかなあ。それに「写メを撮る」なんて言い方もヘンだぞ)。
「ケイコ」という名の知り合い自体はこれまでの人生を振り返ってみると(振り返るほどのものではないが)何10人といはする。小学校の担任の先生は三人いたけど、そのうち二人がケイコだった(^o^)。思い返せば「ケイコ」という名前の人間には結構縁があって、私の人生の節目節目になぜか「ケイコ」が現れることが多いのだが、これがたいていロクなことをしてくれないのである(-_-;)。私にゃ「ケイコの呪い」でもかかってるのか。
一番私に縁の深かった「ケイコ」さんはもう鬼籍に入られている。もしそこで写真を撮ってくれてるんだったら、ぜひ見せてほしいとは思うのだが。
今んとこ、馴れ馴れしく「ケイコです」と名前で呼び掛けてくる知り合いに心当たりは全くないので、メールは即刻削除。だいたい私は仲間内で「○○ちゃん」と名前で呼びあってる人に対しても、頑なに名字で呼んでしまう融通の利かないところがあるので、それを知ってりゃ、絶対名字でしかメールは送ってこないはずなのである(おかげで知り合い同士が結婚して名字が同じになってしまうことくらい困ることはない)。
これに引っかかる人間ってのも広い世の中に結構な率でいるんだろうなあ。
NHKBS−2で『イーストウッドの肖像』。
もう誰もが知ってる有名な事実だが、クリント・イーストウッドの出世作『荒野の用心棒(“Per un pugno di dollari”=「ひと握りの金のために」) 』は黒澤明監督の『用心棒』の盗作である(後に東宝に権利金を支払って和解した)。このドキュメンタリー、いかに『荒野〜』が『用心棒』をバクッたかを、二作品の映像を交互に見せることで説明している。なんかこうハッキリと示しちゃうというのもちょっとイヤガラセに見えなくもないな。
この盗作騒ぎを『用心棒』自体がダシェル・ハメットの『血の収穫』の影響を受けてるじゃないか、とトンチンカンな擁護をする向きがあるが、「インスパイアされた」というのと「盗作した」のとは違うのである。『用心棒』は『血の収穫』の換骨奪胎(しかし、黒澤明がハメットを読んでいたかどうかは疑わしい。少なくとも敵対する二者の間で第三者が利すると言うなら、原典は『漁夫の利』にまで遡れよう)であるが、『荒野の用心棒』は明らかに『用心棒』の盗作なんだから、ヘタな擁護はかえって『荒野』の価値を貶めてしまうというものである。だいたい、セルジオ・レオーネ監督もクリント・イーストウッドも、既に盗作を認めてるんだから、四の五の言わなくていいじゃないか。
夜、しげが急に「博多ラーメンが食べたい」と言うので、ちょっと遠方ではあるが千代のラーメン屋まで出かける。
7、8年ほど前にはこのラーメン屋にも足繁く通ってたものだったが、しばらくぶりに来てみると外見は同じであったが、中はすっかり改装されて、従業員の人も全く変わっていた。チケットを先に買うシステムになってたのも大きい。
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10月02日(木)
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