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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■父の日に父から奢られる話/映画『ロスト・イン・ラ・マンチャ』/『20周年アニバーサリー 死霊のはらわた』
 昨日の日記の続き。

 博多駅に6時半に到着。先に手早く食事を取ることにする。
 バスステーションの地下のオープンベーカリーで、カレーパンにチーズパン。しげはグラタンを食べるが、寝起きなせいですぐに胃にもたれる。そうなるとわかってて「でも食べるもん」と言うのだから処置なしである。


 シネリーブル博多駅で、『ロスト・イン・ラ・マンチャ』。
 本来、この作品はテリー・ギリアムによる『ドン・キホーテを殺した男』のメイキングになる予定であった。
 ところが、数々の予想も出来ないアクシデントにより、制作は撮影開始後わずか6日で頓挫してしまう。
 ハリウッドに総スカンされてヨーロッパでの全面製作への変更、スポンサーの突然の出資拒否による制作規模の縮小(それでも4000万ドルから3200万ドルにちょっと下がっただけ。最低でもそれくらいはないとギリアムのイメージを具現化できないのだ)。
 役者が来なくてリハーサルもできない。せっかく作った道具は作りなおし。セットを組むスタジオに行ったら防音設備がないことを知ってキャンセル。撮影前からどんどん悪い知らせばかりが届く。監督は叫ぶ。
 「FRAGILE!(ぶっ壊れそうだ!)」
 ようやくドン・キホーテ役のジャン・ロシュフォールが到着、タイムスリップしてサンチョ・パンサに間違われる現代の青年トビー役のジョニー・デップと意気投合する。ようやく雰囲気は上向きになるかに思えた。
 ところが撮影第一日。エキストラのリハーサルが出来ていない。ロケ地はなんとNASAの基地の近くであった。1時間置きに飛んでくるF−16の爆音。それでも撮影を強行するギリアム監督。
 二日目。
 突然の雷雨。撮影機材がアッという間に濁流に流された……。

 このあと、どんな不運が映画を襲ったかは詳述しないでおこう。あまりに見るに忍びないからだ。結果的に、この映画は「完成しなかった映画のメイキング」という奇妙なものになった。
 子供のような嬉々とした表情のギリアム監督の顔がどんどん険しく、厳しく、暗澹たる影に覆われていく過程は見ていて辛い。

 反面、疑問も生まれはする。なぜここまで不運がギリアム監督を襲うのか? スタジオやロケ地の選定など、事前に調べようとすれば出来ないはずはなかったのではないか。あまりにも不自然である。
 パンフレットでミルクマン斎藤氏と行定勲氏が推理する。この映画そのものが実は「フェイク」なのではないかと。初めから「メイキング」としての映画を作ったのではないかと。
 その可能性も考えられないではない。しかし、そうだとしても『ドン・キホーテを殺した男』が未だに作られていない、という事実に変わりはない。そしてギリアムは、まさしく自らの集大成かつ渾身のエンタテインメントとして、今もなお『ドン・キホーテ』を作ろうと決意しているのだ。
 ホンモノだろうと、フェイクだろうと、この映画の収入が、少しでもギリアム監督の映画制作のための資金になるのならと、喜んで映画を見に来るファンもたくさんいるだろう。なぜなら彼らは知っているからだ。
 ギリアム監督の映画にかける情熱が、同じくホンモノなのだということを。

 見終わっていったん外に出る。
 このままもう1度中に入って、今度はレイトショー『20周年アニバーサリー 死霊のはらわた』を見るのだが、既に外には長蛇の列が出来ている。
 最前列に並んでいるヒゲヅラの若者二人とふと目が合って驚く。昔の知り合いである。
 「何でこんなとこにいるんですか?!」
 「いや、今、映画一本見て今度は『死霊のはらわた』見ようと思って」
 「……さすがですねえ」
 何がさすがなんだかよく分らないが、しばらくぶりだったので、近況などを語り合う。一人は昔から映像関係の仕事をしたがっていたが、今や自分で映像制作会社を立ち上げて、イベントのオープニング映像などを何本も手がけているそうだ。
 「まだ、夢、捨ててませんよ。いつか劇映画撮ります」
 「いいねえ。山村浩二さんの例もあるし、やれるんじゃない?」
 随分お気楽に保障しちゃったが、もう作品作って生活も出来ているのなら、そう不可能なことでもあるまい。

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06月15日(日)
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