ID:10788
無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
[491686hit]
■無知の巣窟/『美女で野獣』2巻(イダタツヒコ)
夜中(っつーか朝か?)、帰宅したしげがいきなり私を叩き起こす。
「アタマ上げりぃ!」
寝惚けたまま、なにがなんだかよくわからず、「ふぁ?」と声を上げる私。
いきなり枕を蹴飛ばされて、頭がガクンと落ちる。
「な、なにすんだよう!」
と頭を起こしたら、すかさずしげが何かを私の頭の下に滑りこませた。
しげ、「ふんっ!」と鼻息をねずみ男のように吹かして、私の頭を「それ」に押しつける。沈みこむような感覚。
そこでやっと気が付いた。
これはしげが「買いたい」と言っていた「低反発枕」とかいうしろものである。父の日のプレゼントに、とか言ってたが、自宅用にも買って来たのか。
なるほど、確かに今までの枕とは感触がひと味もふた味も違う。どう言ったらいいのか、柔らかめの土の中に沈みこんでいく感触とでも言えばよいか、まるで頭の鋳型を自然に取られているような感じである。もちろん、それが「気持ちいい」のだ。
まあ、しげも買って嬉しいのは分かる。でも寝てる私を叩き起こす必要はないじゃないの。どうして起きたあとで見せるってことをしないのかなあ。
「噛みつき魔」こと、フレッド・ブラッシー死去の報。
この人と力道山との流血試合をテレビで見てショック死したおばあさんがいたとかいうのが伝説となっているけれども、テレビ創世記ならそんなこともありうるよなあ、と納得できちゃうくらい、昭和30年代のテレビの持つ意味あいは、現行のそれとは大きく違っていたのだ。
なんたって「プロレス」がゴールデンタイムに放送されてたころである。テレビはそこにそれがあるだけで「刺激的」であった。どこにでもある、「惰性」で流される番組なんて一本もない時代だった。
一人の悪役プロレスラーが死んだというより、また一つ「テレビの黄金時代が終わった」と感じる人も多いことだろう。
唐沢俊一さんの「裏モノ日記」に、黒澤明の『天国と地獄』に関する以下のような記述を見て、ちょっと首を傾げる。
> 北野武が、黒澤明に招かれて、“『天国と地獄』の、間違えて違う子が誘拐されるのがいいですね、面白かった”と言って恥をかいたことを書いていた。まあ、確かにあの映画の原作がエド・マクベイン『キングの身代金』であることはほとんどの映画ファンが忘れていることだが。しかし、世の黒澤ファンたちがあの映画を持ち上げるあまり、ことさらに原作を“つまらない作品”“あまり大したことのない作品”とけなし、“そこからあれだけの映画を作り上げた黒澤は凄い”という風に話題を持っていくのには腹がたつ。
「ほとんどの映画ファンが忘れてる」って、普通そんなヤツは「映画ファン」とは言わないと思うがなあ(^_^;)。まあ、私も映画ファンのハシクレではあるが、『天国と地獄』がマクベイン原作であることを忘れたことはないし、私の知る限り、知人でそのことを知らない人間もほとんどいない。だいたいネットで『天国と地獄』を検索すれば、たいてい「これはマクベイン原作で」と注釈が付いている。どう考えても「ほとんど」じゃないよなあ。
「忘れられてる」ということで言うなら、『酔いどれ天使』の原作が菊田一夫の『堕胎医』であることの方が「忘れられ率」は高いと思う(読みたいヤツはウチに来な)。
唐沢さんの日記を読んでると、時々「今時こんなことを知ってる(気にする)のは私くらいのものか」といったような記述が目につくが、たいてい私も知ってることばかりである。なんだか孤独感と言うか寂寥感を感じさせる表現だけれど、唐沢さんの周辺にいる人間って、そんなにモノシラズなバカばかりなんだろうか。
『キングの身代金』についても、「つまらない」という意見を誰がどの口で言ってるのか、所詮は若造の青二才の半可通の、ミステリをマトモに読んだこともないスットコドッコイの言質としか思えない。そんなやつらが本当に「映画ファン」だの「黒澤ファン」だのと言えるのだろうか。
[5]続きを読む
06月04日(水)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る