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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■すっ飛ばし日記/メジャーかマイナーな男たち
夕べ風呂に入って、つい眠りこけたら見事に風邪を引いてしまいました。だもんで、今日は仕事はお休みです。ああ、また仕事が溜まるなあ。
昼まではずっと寝こんだまま。
鼻水すすっても喉をやられても熱があっても頭痛と目眩と吐き気がトリプルアタックで攻撃かけてきても、パソコンの前には座る。せめて日記だけでも更新したいのだが、まあ、病状は悪化するわな(^_^;)。
夜、なんとかがんばってチャットの番人。
すぐに来られたヨナさんと、『BSマンガ夜話』見ながら『ファイブスター物語』についてなんだかんだと文句をつける。
あれも面白いっちゃ面白いけど、いしかわじゅんも言うとおり、オタクマンガの域を出ないんである。『ねじ式』と『FSS』、どちらがメジャーかっての、岡田さんは「世代論」で切ってしまうけれど、そう単純に言えることでもない。
ヨナさんも、「数十人集まった中で、つげ義春を知ってるのが自分一人ということがあった」と仰っていたが、それでも『ねじ式』や『李さん一家』や『ゲンセンカン主人』がメジャーであることに変わりはない。それは、我々が諺・故事成語の原典を必ずしも知ってなくても、日常会話でそれを使いこなしているのと状況はよく似ている。オチが「それから彼らがどうなったかというと」「実はまだそこにいるのです」パターンになってるマンガ、いったいどれくらいあるものか数えきれまい。『名探偵コナン』だって、青山剛昌はつげさんを一作も読んでないかもしれないが、やっぱり『李さん一家』チルドレンのチルドレンなのである。
確かに『ねじ式』を若い人は読まないだろうけれど、文化的な広がりってのは、一つの作品が多数に受け入れられることだけではなくて、当人がそれと気付かなくてもいつの間にか間接的に影響を受けてるってことだってあるのである。
今の若い読者が手塚治虫を読まなくなったからと言って、手塚がマイナーになったと言えるかどうか。いくら岡田さんが『FSS』はエポックメーキングな作品だと主張しても、そういった意味での影響力は極めて小さい。追随者がいないのである。
つーかさ、あーゆー「設定病」に取りつかれた人って、普通はメジャーデビューできないのよ。同人誌ならともかくさ。『エルガイム』で一応名を売った経歴がなかったら、連載だって持ててたかどうか。
私はだいたいいしかわじゅんと岡田斗司夫が対立した時には9対1の割合で岡田さんの方に付くのだが、この件に関してはいしかわじゅんの意見に賛成せざるを得ない。やっぱ大好きな作品についてだと、さすがの岡田さんも客観的な視点が持ちにくくなっちゃうんだろうなあ。
けど、途中でほたらかしてた『FSS』、もう一度きちんと読みたくなってきたなあ。岡田さんの熱弁は決して一般のマンガファンに届くものではないだろうが、私が引っかかっちゃうというのはやっぱり自分にアニメオタクの血が流れていることを自覚せざるをえないのである。
05月27日(火)
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