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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■オタアミV前夜祭/映画『ひき逃げ』
全く、CS日本映画専門チャンネルは魔窟だ。
これまでもチャンネルNECOを見ちゃいたんだけれど、あそこ日活映画しかやらねえ。確かに一番の老舗だけれど、石原裕次郎以降の作品にはあまり心惹かれないのだ。
映画会社によって特色が分れるということも昨今はなくなってしまったが、五社協定があったころは、ハッキリと監督や役者によって、作品のカラーが違っていた。私の好みはどうしても東宝が一番、あとは大映・東映・日活・松竹の順になる。
今朝は成瀬巳喜男劇場で、彼の最晩年の作、『ひき逃げ』を見る。
1966年公開だから、私も生まれちゃいるが、当然子供は映画館にこんなのを見には行かない。今回が全くの初見。
「東宝の小津」(という呼称はあまり誉め言葉にはならないが)成瀬巳喜男にしては、これは随分「社会派」っぽい作品である。「謎解き」の要素をもうちょっと強くすれば、そのまま松本清張原作の社会派ミステリだと主張しても通りそうだ。
もっとも、『浮雲』『放浪記』などで、運命に翻弄される女の一生を描いた成瀬監督にしてみれば、この映画の「ひき逃げ」によって不幸に落ちて行く伴内国子も、充分に自分の映画の主人公として認識されているのかもしれない。
脚本は主演の高峰秀子の御夫君・松山善三だが、「良識派」である氏の脚本は、ともすればメロドラマに流れる嫌いがあるが、これは珍しくもラストまで殆ど乾いている。
この二人のコンビで、ここまで「重厚な」(他作品が軽いという意味ではない)映画が作られるとは。実に見応えのある「映画」だった。
山野モータースの重役夫人・絹子(司葉子)は、不倫相手の小笠原(中山仁)とドライブ中、道に飛び出してきた子供・武(小宮康弘)を轢き殺してしまう。
帰宅して、夫・柿沼(小沢栄太郎)に不倫の事実だけを隠して、轢き逃げしてきたことを伝えた絹子であったが、スキャンダルを恐れた柿沼は、運転手の菅井(佐田豊)に絹子の身代わりとして自首するように命じる。
息子を殺されたのは、安食堂で働く伴内国子(高峰秀子)。パンパンあがりの彼女は、復員兵の夫と結婚して子供も生まれ、ようやく幸せを掴んだと思ったのもつかの間、先年、夫を工場の事故でなくし、今また、最愛の息子を失った。
国子の弟、チンピラの弘二(黒沢年男/現・黒沢年雄)が山野モータースにネジ込んで、慰謝料をせしめはしたが、そんなこと国子の心は晴れない。毎晩飲み荒れるうちに、事件の目撃者の老婆(浦辺粂子)から「犯人は女だった」という証言を得る。
再審を警察に訴え出るが無視された国子は、真犯人が誰かを突き止めるために、柿沼家に家政婦として入り込むことを画策する……。
絹子にも息子・健一(平田郁人)がいて、国子はこの子を殺して子供を奪われた悲しみ・苦しみを絹子にも味わわせようとするのだが、もともと犯罪者の素質のない国子(そうそうあってたまるか)、どうにも要領が悪くて何度も失敗する。
この子に感情移入したもんだから、陸橋から突き落とそうとしてもできない。横断歩道を赤信号で渡らせようとしても、いざ轢かれそうになったら、つい助けてしまう。でも、それで復讐を諦めるかというとそうはならず(ここがハッピーエンドの多い松山脚本にしては珍しいところだ)、寝ている健一の部屋のガスの元栓をそっと開けておくが、すんでのところで女中のふみ江(賀原夏子)に発見され、健一の命は助かってしまう。
よく考えたら、ふみ江がいるのにすぐガス漏れが見つかるような細工をするのもおかしな話だ。これも殺したいけれど殺しきれない国子の逡巡の現れなのか。そう思いたくなるのは、国子を演じる高峰秀子の苦痛に歪む表情や演技が絶妙だからなのだが。
物語の結末はちょっと救いがない。もともと救いのないドラマを作ることの多かった「ヤルセナキオ」(そう仇名されていたのである)さんであったが、これは『浮雲』以上に高峰秀子の哀れさが涙を誘う。ラスト、国子がどうなるかはぜひ映画を御覧になって頂きたい。きっと暗澹たる気分になって落ちこむから。
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02月22日(土)
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