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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■迷宮の扉へ/『冥土』(内田百フ・金井田英津子)/『プリティフェイス』3巻(叶恭弘)
 押井守ファンならば必見、都々目(とどめ)さとし氏が運営するファンサイト『野良犬の塒(ねぐら)』に、去る15日夜にテアトル池袋で行われた、『押井守シネマ・トリロジー/初期実写作品集』発売記念として開催されたオールナイト上映、「押井守ナイトショウ」のレポートが掲載されている。
 押井守のアニメは好きだけれど実写はちょっとな、という人も結構多い中、DVDがBOXで発売というのだから、巷間、言われているほど評判は悪くなかったんじゃないか。私自身、『紅い眼鏡』は退屈するどころかワクワクしながら見た。ついでだが、あの映画完成の直後、月見の銀二を演じられた天本英世さんにお会いする機会を得たが、ご感想は「あれもヘンな映画でねえ」だった(^_^;)。さて、天本さん、今は押井さんのことを覚えてらっしゃるかどうか。

 押井守の映画を見て、「なんじゃこら? 意味わからん」と仰る方は多いが、ドイツ表現主義の『カリガリ博士』だの、フランス・ヌーヴェルバーグのトリュフォーやゴダールだのの映画を見てれば、別に押井守の映画は難解でもなんでもない。要するに全ては「見立て」の世界なんで、短歌や俳句を鑑賞する気で映画を見ればよいのだ。
 そういう「趣味の世界」につき合わされることを憤慨する人もいるが、映画は基本的に監督の趣味の産物である。その「趣味の世界」は入口こそ狭いが、中に入ると一気に空間が爆発的に拡大する。隠喩による情報量が半端ではないのだ。まさしく、その意味を解釈する楽しみがそこに生じてくる。
 どっちかと言うとね、私ゃ、ルーカスやスピルバーグの、わっかりやすすぎるくらいに単純な、間口は広いけど、中に入るとウスイ空気しかない世界につき合わされる方がずっと苦痛なのよ。
 押井守を人に奨めることは、単に映画を見てもらうってだけでなくて、「同好の士を募ること」、もっと極端に言えば、自分たちだけの非常に狭い世界(まあ、小さな「宗教」と言ってもいいですな)にその人を引き込もうとする行為だとも言える。まあ、胡散臭いと言われても仕方のない行為だ。
 おかげで、ことあるごとに押井守の実写映画を見せてはいるのだが、今のところ、私の周囲で『紅い眼鏡』を気に入ってくれた人は、しげとよしひと嬢くらいしかいない。よしひと嬢は、今度のBOXが、「どうして『紅い眼鏡』と『ケルベロス』と『人狼』の三部作じゃないんだ!」と憤慨するほどに入れこんでくれた(^o^)。『トーキング・ヘッド』も「押井守映画論」として楽しい出来なんだけどなあ。

 しかし、ここに来て、状況は随分変わってきた。
 以前出たLD−BOXの解説では、友成純一さんが、いかに押井守の実写映画の世間受けが悪いかを語っておられたが(^o^)、『人狼』や『アヴァロン』を経て、改めて押井守の原典を知りたいというファンも増えてきたのではないか。
 ナイトショウでの押井さんの発言を引用してみよう。

> 「ごく稀に僕の実写が好きな人もいることは知っているけど、大方の人の評判は悪い。お客さんが来ないしビデオも今ひとつ売れない。このBOXも、2000個出ればいいところじゃないという話をしていたんだけど。でも蓋を開けてみれば5000も受注を頂いて感謝しております」
> 「アニメが本妻で実写は愛人というわけではない。僕には本妻がいないという気がしている。アニメーションで違和感を感じ、それで『アヴァロン』を作ったのだから。アニメーションの違和感がこの実写三本に表れており、非常にプライヴェートなBOXになっているという気がする。これを予期しないほど買ってくれる人がいそうだということで意を強くした。こういう形で世に再び出ることで、僕の映画は生きている。公開当時は評判悪かったけど、『紅い眼鏡』もまだ余命を保っている」

 余命を保ってるなんてもんじゃない、『紅い眼鏡』は全編、どこを取っても「映画」に満ち溢れている。予算がないのがどうした、それでも映画は撮れる! そういう気概に満ちた圧倒的な情熱がこの映画を支えているのだ。
 千葉繁のシャワーシーン!
 玄田哲章のダンス!
 鷲尾真知子のチャイナ!
 運転する大塚康生!
 塗り箸を折る天本英世!
 イマイチ出番がないぞ田中秀幸!

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02月18日(火)
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