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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■閃光の意味は/アニメ『明日のナージャ』第1回/『グーグーだって猫である』2巻(大島弓子)
朝、眼を覚ますと8時半。
わあ、危ない。『明日のナージャ』第1回を見逃すところだった。
ホントは体力が持ってりゃ7時からしっかり起きて戦隊もライダーも見たいんだけれど、そうすると昼にはバテてまた寝てしまうのである。
『どれみ』も見たり見なかったり、どちらかと言えば五回に一回くらいしか見ちゃいないのだが、たまに見た回に『未来さん』の話なんかがあるから侮れない。私ゃもちっと体力が欲しいよ。
さて、『ナージャ』第1話「ナージャ、運命の扉!!」であるが、なんだか既成の少女小説やマンガ・アニメの寄せ集めって感じで、もうこのトシになってしまうと面白味を感じること自体、難しい。
ちょっと思い浮かぶだけでも『キャンディ・キャンディ』『あしながおじさん』『家なき子』『小公子』『小公女』『黒いチューリップ』あたりを参考にしたんじゃないかって展開で、キャラクターデザイン自体は今風なのに、なんだか古臭さを感じてしまう。元祖は『レ・ミゼラブル』あたりになるのかな。
これでまたやっぱリ魔女っ子ものになっちゃったら少女ものジャンルを全て制覇しそうだが、さすがにそうはなるまい(^_^;)。
でも、どこかで見たような物語であっても、若い世代には若い世代の思い出の作品ってのは必要になるのである。永遠に『キャンディ・キャンディ』をリメイクしていくってわけにもいかないからね。
でも、「孤児院」で「まだ見ぬ母」に「指輪の秘密」に「謎の美少年」に……って、イマドキの若い子に受けるのかなあ?
それはそうと、この話の舞台ってイギリスってことになってるけど、「ナージャ」って名前、イギリス人なのか? どうもロシアとか東ヨーロッパに多い名前らしいんだけど(「希望」という意味だとか)。
で、実は触れようか触れまいかちょっと迷ったんだけど、この日記には思ったことはできるだけ書いておくことにしてるんで、「例の出来事」についても、一応は書いておくことにする。
『サンデーモーニング』にチャンネルを合わせると、青空に白い軌跡の流れる、ちょっと見、美しい映像が流れている。
初めはそれがなんだかよく解らなかった。
でもすぐに上ずり加減のキャスターのナレーションが流れる。煽情的なテロップがかぶる。
スペースシャトル・コロンビア号の崩壊の映像であった。
実際の事故は、NASAの発表によれば1日午前9時(日本時間午後11時)ごろに起こったということである。コロンビアは高度6万メートル上空を時速2万キロで飛行中であり、着陸予定時刻のわずか15分前に、テキサス州上空で交信が途絶えた。
その後、コロンビアはダラスの南約160キロ上空で空中分解した。生存者はいない。乗組員七人の中には、イスラエル人が一人、初めて乗り込んでいたという。
映像を見ながら思ったことが二つある。
一つは交信の途絶から実際の爆発までのタイムラグ、およそ7、8分の間に乗組員の人々は何を思っただろうか、ということだ。
果たして、崩壊は一気に押し寄せたものなのだろうか。もしそうならば、事故自体は悲惨であっても、乗組員の苦痛は一瞬であったかもしれない、と思う。
しかし、計器の不調、温度の上昇など、“眼に見える形で”彼らに死が迫っていったとすれば……。
人は、絶対の死を前に、何を思うものなのだろうか。
祈りか、怒りか、呪いか、ただの叫びか。死の瞬間に人は自らの真実を晒すのか、それとも偽ったままで終わるのか。
おそらく、新聞やテレビなどのメディアやヒョーロンカのみなさま方は、事故原因の究明だの、そういうところにばかり「謎」を求めるのだろうが、実はそんなものは謎でもなんでもない。たとえその真相が判明しなくても、それが物理的な因果律の範疇に属する問題である以上は、原因と結果はちゃんと存在しているからである。
けれど、人の心に答えは求められない。
彼らが最後の瞬間に何を思っていたか、という疑問に答えを出すことなど、どんなに想像を逞しくしたところで不可能だろう。それはとりもなおさず、我々自身が全くと言っていいほど自分が何者かを知らず、自らの存在自体を持て余しているというやりきれない現実がそこにあることを意味している。
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02月02日(日)
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