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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■革命児の帰還/『ヒカルの碁』20巻(ほったゆみ・小畑健)/『ななか6/17』9巻(八神健)/『パタリロ西遊記』5巻(魔夜峰央)
 山上たつひこが帰ってくる。
 いや、ファンならばご承知のとおり、山上氏は別にいなくなっていたわけではない。しかし、本人の意向がどうあろうと、「作家・山上龍彦」に違和感を持った人は多かったと思う。いくつかの本を立ち読みはしてみたが「なんでマンガで描かないかなあ、これ」としか私には思えなかった。
 「山上たつひこ」という名前に何を喚起されるか、既に世代間での格差も大きかろう。『がきデカ』すら知らない若い人たちに『喜劇新思想大系』や『光る風』の話をしても、ポカンとされるだけだ。
 けれど、例えば筒井康隆の『アフリカの爆弾』の狂気、あれを描き得たのは、あのギラギラとした山上さんの筆致あってこそだったと、私は信じて疑わない。
 山上さんはたとえシリアスなマンガであろうとギャグマンガであろうと、常に革新的なマンガを描く作家だと認識していた。けれど、『がきデカ』の後期、山上さんの線は随分と洗練され、固まってしまっていた。その線は10年を経て『がきデカFINAL』に至っても変化することがなかったのだ。
 10年前、私は、こまわり君の自らを山頭火になぞらえた旅立ちを、惜しいと思いつつも、先にもう進むことができなくなった山上さんの勇気ある引退として受け入れたのだ。
 こまわり君は、山上さんは、どんな形で帰ってくるのか。

 『ビッグコミック』に掲載予定の『中春こまわり君』(「中春」とは、「早春」と「晩春」の間だとか)に登場するこまわり君は、38歳。「金冠生々(きんかんなまなま)電機」という家電メーカーの営業マンで、結婚して一児の父親であるという。飲み屋で酔客から「おい、“死刑”やれ」などと言われて、ついついサービス精神からやってしまう。
 同僚の西条君はモモちゃんと結婚して2人の子どもがいる。ジュンちゃんは2度の結婚に破れて、今はブティックの雇われ店長。
 犬の「栃の嵐」はぼけ老犬になって車いす生活。栃の嵐の孫が板前で小料理店を経営している。

 山上さんは、復活の理由を「時代の要請」と言う。
 「時代が一回りし、二回りし、さらにもう一回りしてぼくを訪れ、要請した。ファンと再会する一夜のカーニバルのようなものです」と。
 そうかもしれないが、これは明らかに藤子・F・不二雄の『劇画・オバQ』だ。オバQが再び訪れた人間界、正ちゃんは結婚し、ゴジラやよっちゃんやキザくんもみんなオトナになっている。ハカセだけが少年のころの夢を失ってはいないが、それも一夜の酔っ払いの戯言として翌朝には忘れ去られる。ここにオバQの居場所はもうない。
 こまわり君の場合はもっと悲惨かも知れない。
 彼はどこか自分の世界に消え去ることはできないのだ。
 今、こまわり君がいるのは、かつてマンガの中で描かれてきたナンデモアリな幸福な空間ではない。もともと『がきデカ』の世界には、『サザエさん』のごとく『ドラえもん』のごとく、時間の経過は存在しなかった。しかし、今や20年の歳月は確実にこまわり君の上にのしかかってきている。
 今のこまわり君に「八丈島のきょん」が、「台湾バナナ」が、「ぺぽかぼちゃ」ができるのか。できたとして、それが時間の経過という残酷な現実の前で、何かの力を持ち得るのか。
 既にこまわりくんは「がきデカ」ではないのだ。まだ「オバQ」はオバケであったが、こまわりくんはアイデンティティを喪失したところからあらためて描かれるのである。その意味で、これはただの続編ではない。『翔んだカップル』が延々と続くのとはわけが違うのである。

 ヘンな期待だが、私は山上さんの線がとてつもなくヘタになっていてくれたら、と思う。
 もはや山上さんに70年代の熱い線は描けまい。
 だったらいっそのこと、どうしょうもなくヘタクソな、情けない、最晩年の杉浦茂のような、崩れて乱れて線が線になっていないような、すっかり壊れた状態になっていてくれていたほうが、奇妙な迫力が生まれはしないか。
 晩年の芭蕉か、市川準の『会社物語』のような、枯れたワビサビの世界にこまわり君が復活するよりは、そちらのほうがずっといいように思うんである。


 体調、相変わらず悪い。今年の風邪は長引くかもとは聞いていたがホントに長引いてんじゃねえよ(-_-;)。

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01月09日(木)
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