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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■藤岡弘が洞窟に入る♪/『地球ナンバーV‐7』(横山光輝)/『キッチュワールド案内』(唐沢俊一)/DVD『プリンセスチュチュ』1巻
 昨日の日記に書き忘れてたけど、藤岡弘の、『スイスペ!今夜復活!! 伝説の探検隊が帰ってきた アマゾン奥地1500キロ! テラプレータの密林に謎の猿人ジュンマは実在した!』、見ましたよ。
 もちろん、アレについてその真偽がどうの、なんて野暮は言っちゃいけません。カメラは隊員たちより先に入らなければ撮影できませんやね。
 いやあ、藤岡隊長カッコイイ! ナレーションの声も本気だ! 川口隊長を凌駕していると言っても過言ではないね。まさしく熱い魂が燃え滾るようです。
 ぜひ、これからもシリーズ化してほしいものですね。


 さて、またかい、というご指摘もありましょうが、しげをまたまた閉め出しました(^_^;)。
 理由もまたいつもと同じで、しげがヒステリー起こしたからですけどね。けどこないだ閉め出したばかりだから、しげも今日はすぐに詫び入れてきたんで、すぐに家に入れてやりました。私だって冬の寒空の下、しげを外に放ったらかしになんかしたくはないのです。かと言って、押入れに閉じ込めるとかトイレに閉じこめるとかしたら、しげは暴れて押入れやトイレを破壊します。実は既にトイレのドアは一部しげに蹴破られています。しげに部屋の中を破壊させないために仕方なく外に追い出しているわけなのです。しげの体力は多分、猿人ジュンマ並にありますから、みなさまご心配なきよう。


 マンガ、横山光輝『横山光輝SF傑作選@ 地球ナンバーV‐7』(講談社漫画文庫・798円)。
 いやあ、マンガ文庫ブームがこんなのまで発掘してくれることになるとは本気で感謝、感謝だねえ。
 オビには「バビル2世の原典」とか書かれている。なるほど、単純にこのマンガを超能力対決ものとしてみるならそうだろう。けれど、テーマとしてはこの作品、A.E.ヴァン・ヴォクトの『スラン』に始まる、新人類・エスパーが旧人類から迫害され、それに打ち勝っていくっていう、正統派SFアクションの王道パターンの一つなのだ(と言いつつ、私は『スラン』の内容を殆ど忘れている(^_^;))。
 このパターンがいかに多くの模倣者を生んだかって例を一つ上げれば、本来そんなテーマとは関係なく終わるはずだった『機動戦士ガンダム』にまで「ニュータイプ」という概念が持ち込まれちゃったくらいなのだ(^o^)。いやね、虐げられしものの選民思想をうまくくすぐっちゃうところがあるのよ、このモチーフは。富野さんがこれに惹かれちゃったってことで、あのヒトの思想の基盤にあるものがどういうものであるかってことも、なんとなく見えてくるよね。
 元祖『スラン』が発表されたときもSFファンが「SFファンはスランだ!」と叫んだそうだし、岡田斗司夫さんの「オタクエリート論」もこの思潮の果てにあることは否めない。オウムだのラエリアンだの、新興宗教の連中も、自分たちの非社会性、非常識性を選民思想にすり変えて正当化していたが、こういう「新人類」って発想は実は何の取り柄もない自分を誤魔化すのにとっても便利なんだよね。
 けれど、そういう読み取り方ってのは、どうにもさもしいなあ、という気がしてしまうのである。確かにエスパーたちの活躍に手に汗を握り、感情移入するのはわかるが、それはあくまでエンタテインメントとしてであって、「自分にも隠された力があるかも」などと考えるのは発想の飛躍というものだ。かつての「ガンダム論争」のときに、「ニュータイプは単なるエスパーではなく、人と人とが争うことなく理解しあえる可能性なのだ」と大上段に唱えていた人がいたが、シリーズが打ち切りにあって、話をまとめるのに持ち出してきたその場凌ぎのリクツに、そんなたいそうな意味があるものか(^_^;)。

 前置きがまた長くなっちまったが、横山光輝は徹底したエンタテナーである。モチーフに旧来のSF作品をもってきてはいても、実はそこに内包されているテーマには意外と無頓着、ということが多い。鉄人28号のモチーフは『フランケンシュタイン』だと作者自身が発言しているのだが、読んでるほうは「被創造物たる怪物の悲しみなんてどこにもないじゃん」と、ついツッコミを入れたくなってしまうのである。

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12月26日(木)
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