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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■トイレはなが〜いお友達/映画『ザ・リング』/DVD『北京原人の逆襲』
公開初日の『ザ・リング』(日本版の『リング』とは「ザ」がつくことで区別するらしい。パンフの表紙は英語で『THE RING』)を見に行く。
どこでも上映してるので、さて、どこで見ようか迷ったのだが、初日でも空いてそうなところと言えば、粕屋のワーナーマイカル福岡東しかない。
シネコンであるにもかかわらず、どうして客が来ないかと言うと、これが福岡の中心から離れてて、福岡空港の向こう側にあるからなのだね。博多・福岡在住の人間はキャナルシティや天神、百道に行くし、南の方の人間は同じワーナーマイカルでも大野城のほうに行く。空港を迂回して行くならトリアス久山の方が近い。場所的に粕屋の人間以外になんのメリットもない、というところなのだ。……あの、粕屋って未だに「市」に昇格できないくらい人口少ないんスけど、そこによくシネコンおっ立てる気になりましたね。地価安いからだってのはわかるけど(面積もだだっ広いけどもとはタンボだったに違いない)。
実際、いつでも閑古鳥が鳴いているので、いつ潰れてもおかしくない気がしてるのだが、映画を見ようと思ったらこんなに空いてて回りを気にせずに鑑賞できる映画館はめったにない。予想通り、封切り初日だというのに客は十数人。……キャナルシティなどは二館上映までしてるのにねえ。
ホントに大丈夫か(・・;)。
『ザ・リング』、見た感想は随分本家の『リング』に敬意を払ってるなあ、といった印象。なにしろほんのさりげないシーン、父親と息子が雨の中、出会って見つめあってすれ違うシーン、そんなところまで再現しているのだから。
もっとも高山竜司に当たるその父親ノア(マーティン・ヘンダーソン)は日本版の真田広之が演じたような超能力者という設定ではない。ごく普通の人間だから、その血が子供に遺伝して息子が貞子との交流を果たしたようには描かれていない。アチラでは子供は自然に異界との交流を果たす、というように見られているのだろうなあ。
なぜ両親が離婚したかという設定、日本版ではなんとなくこの血の濃すぎる親子の関係が密接になるのを恐れて、といった印象があったのだが、アメリカ版ではただ単にこの息子を父親が恐れたためのように見える。そう推測すると、これは貞子とその親との関係と二重写しになって、ちょっと面白い趣向ではある。具体的に描かれてるわけじゃないからこれは私の勝手な妄想なのだが。
理由が描かれないといえば、貞子にあたるサマラ(ダヴェイ・チェイス)がなぜ両親に憎まれ、井戸に落とされたかもいまいちハッキリしない(もちろんわざとハッキリさせてないのだろうが)。
サマラが生まれてから、その村の馬がやたら死んだらしいことがわかるが、それとサマラの誕生との因果関係があるのかないのか、あるとしてもそれが何をきっかけにして村人たちに認識されたのかがよく解らない。観客に対しては、その村に船で行く途中に、母親のレイチェル(ナオミ・ワッツ)が運搬中の馬に触れようとしたら、突然馬が狂い出して海に飛び込んで死ぬという描写で暗示されるだけだ。……でもだからどうして馬が死ぬんだよう。サマラ、馬にウラミでもあるのか?
日本版にあったかつての超能力実験を幻視するシーンもカットされてるから、どちらかというとサマラ自身に問題があるというより、村人たちの旧弊な偏見の方にもともとの問題があるように思える。サマラを殺すのも父親ではなく母親に変更。このサマラを演じている少女がいかにも儚げで哀れだ。呪いの怖さよりも先に、「もっと呪っていいよ」と同情したくなる。ホラー映画としてはこれはマイナスポイントかもしれないが。だから井戸の中からサマラが生前のままの姿で浮かびあがってきたときの哀れさも弥増すのである。
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11月02日(土)
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