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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■こんぴーたなんて使えません/『まいっちんぐマチコ先生』1・2巻(えびはら武司)/DVDBOX『電人ザボーガー』
昨日の『マリツァ伯爵夫人』の感想の続き。
気位が高く高慢ちきな女主人公の設定、「私に逆らうなんて、あの人、どんな人かしら」とか、「まあ、妹だったのね、私の恋は終わってないわ!」とか、少女マンガのタームが随所に散見。この手の設定って、いったいルーツをどこまで遡れるのかね。
しかも電光版の字幕の担当者、昔風の雰囲気を出そうとしてか、セリフも文字遣いもやたらコムズカシイ昔風の言いまわしを多用する。「若しや」とか書くなよ、若い人は「もしや」と読めずに「わかしや」とか読んじゃうぞ。
「よくってよ」なんてセリフのおかげでマリツァはほとんどお蝶夫人のイメージ(演じてる役者はバーブラ・ストライサンドをちょっと美人にした感じだったけど)。しかもたまに翻訳者がなにをトチ狂ったんだか、慨嘆の声を「タハッ」なんて訳す。水木しげるか。もちろん、耳で聞いても「Ah!」としか聞こえない。
ツゥパン男爵の「訛り」も、「ずんだらべっぢゃっぺよ」みたいな感じで、崩しすぎて所々意味が取れない。字幕の意味ねえぞ。
そういうちょっとした欠点はあるが、全体的にありきたりな展開なのに、歌と踊りでダレることなく物語を繋いで、一向に客を飽きさせない。何より、盛りこまれるギャグが今でも全く古びていないのが素晴らしい。
マリツァに相手にされないツゥパンがサラリとリーサに乗り返るいい加減さ、夫人に忠実なワリにやたらと酒をくすねる老使用人、心臓の弱い侯爵夫人の代わりに笑ったり鳴いたり怒ったりの表現をして見せる召使など、確実に客席の笑いを誘っている。
一人9000円、二人分のチケットはチトお高かったけれど、それだけの代価を払って、少しも損した気分にはならなかった。特に妹役のリーサの子、ちょっとメグ・ライアンっぽくて、可憐で、「そうか! 妹萌えのルーツはこんなところに!」……ンなワケないか。
帰りに「バーミヤン」で遅目の夕食。
しげ、やっぱりエビマヨネーズを注文。私が注文したエビと鶏肉と胡桃の秋炒め、これもしげはエビだけつまむ。なぜそこまでエビが好きかな。そのうちエビの祟りでエビ女になるぞ。
朝っぱらから録画しといた『プリンセスチュチュ』AKT7「からす姫」を見る。。
ドラマも中盤に入って、一つの山場。
ドロッセルマイヤーの三谷昇がやはり絶品、っつーか、いつ見ても思うけど、素顔からしてこのヒト、キてるようにしか見えないんだよねえ。声だけの演技なのに、三谷昇以外の何物でもないのが凄い。
自分がみゅうとに心のカケラを取り戻していることが、かえって彼を苦しめているかも、と悩むあひる。悩みに悩んで猫先生と結婚までしてしまいそうになるからこれは本気で重症(^o^)。そんなあひるを見て、「お話が終わってしまう」ことを恐れるドロッセルマイヤーは彼女に語りかける。
「どうしたんだい? もうプリンセスチュチュにはなりたくないのかぁい?」
「だって、私がやってることって、みゅうとを傷つけるばかり……教えて!? どうしてドロッセルマイヤーさんは私をプリンセスチュチュにしたの?」
「プリンセスチュチュは王子様に恋をしてるよねえ」
「うん」
「でも、恋しても恋しても憧れの王子様とは絶対に結ばれない運命なんだよねえ」
「う、うん」
「それが面白いからさ!」
「……私やっぱりプリンセスチュチュやめる!」
「……ひいいいい! しまったあ!」
説得するはずが本音を言ってどうする、ドロッセルマイヤー。これはアレですか、話を面白くしようとして、必然性もなくキャラクターをいきなり死なせたりする手○○虫流の演出に対するアンチテーゼですか(^_^;)。
「二度と会わないから」とみゅうとに別れを告げるチュチュ。けれど今までみゅうとに戻してきた寂しい気持ち、哀しい気持ち、怖い気持ち……その心が、みゅうとに彼女を呼び止めさせる。
「君がいなくなると寂しい。君がいなくなると悲しい。君を失ってしまうことが怖い。だからここにいて、チュチュ!」……おお、今までの伏線が見事にここにシンクロ!
脚本の横手美智子、うまいよなあ。たわばさんの奥さんにしておくのはもったいない(なんじゃそりゃ)。
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09月28日(土)
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