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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■灰色の巨人/『サトラレ』3巻(佐藤マコト)ほか
 杉浦太陽の無実が判明したとかで、『ウルトラマンコスモス』の再開が決まったそうな。番組自体は見たり見なかったり、見たときもそんなに面白くはなかったんで、これが『ウルトラ』シリーズじゃなかったらそれほど気にもしなかったと思う。
 とにかく『ウルトラ』世代には「『ウルトラセブン』幻の12話事件」が未だに尾を引いている。私も本放送時に見たっきりだから、今や記憶は茫漠としているのだが、裏で出回ってるビデオを見た人はみな一様に「何でこれが問題にされたのか全く分らない」と語る。
 「臭いものにフタはよくない」と主張しているいわゆる「人権団体」とやらが、こと小説や映画などの表現メディアに対してだけはただひたすら「絶版」「放送禁止」を要求してくる矛盾がなんとも理解しがたいと感じている方は多いと思うが、これって結局は自分たちへの差別を助長する結果にしかなっていないんだよね。
 今回の事件は直接的には差別の問題とは関係ない。
 しかし、「何だかよく分らないやつの訴えで理不尽な理由で放送中止に追いこまれた」という印象がしてしまう点は共通している。
 厳密かつ正論に従って言うならば、「放送中止」って処断はいささか即断過ぎてはいた。恐喝容疑で逮捕、と言っても容疑段階ではまだ推定無罪なんだしね。もっともこんな原則が日々のマスコミ報道の中で守られたためしなんて全くない(芸能人が逮捕されてその名前が伏された例ってないでしょ。今回の事件だって、杉浦太陽が事件当時「19歳」だったから名が伏せられただけで本気で人権擁護なんて考えちゃいないよ)。おかげで我々もすっかり「逮捕=犯罪者」と洗脳されている。いや、私が「マジメそうな顔してエライことやってるなあ、杉浦太陽」、と思っちゃったのもそうだけど、今回はホントにマスコミに踊らされちゃったよね、みんな。
 ここが微妙なところだけれども、たとえ推定無罪の段階でも、犯罪の立件が確実であれば、私は実名報道も構わないと思っている。けれどそれは警察だってバカじゃねーからあやふやな証拠で逮捕まではしないだろう、と一応の信頼はしているからだ。結果的に今回は警察がバカだったってことじゃん。
 処分保留ってことは要するに恐喝があったのかなかったのか、結局は藪の中だ。ホントに太陽君が無実だったのかどうかも実はまだはっきりしていない。
 こうごちゃごちゃとしてくるともう、これで生じた損害(この場合円谷プロも杉浦太陽もどっちも被害者になるんだろうなあ、加害者は訴えたやつ?)は誰がどんな形で埋め合わせるのかとか、映画は話題が出来てヒットするのかなあとか、DVDは完全版で出すのか、映像特典で編集版を収録するのかとか、どうでもいいことしか話題に上らなくなる。
 でも、もともとこの事件がいったいなんだったのかってことは、もう誰も語れなくなっちゃったのではないか。本当は「放送中止にしなきゃならないような原因っていったいどんな基準があるの?」ってこと、もっといろんなとこで話題に出ててもよかったんじゃないかねえ。
 役者が事件起こしたら即放映中止って、それってアリなのか? 主役はダメだけど脇役だといいとか、そういうことなのか? スタッフが罪を犯したら? 監督やプロデューサーだとやっぱり中止で、助監督や撮影技師だとOKか?
 そもそも作り手の罪と作品の質は別で、たとえ誰が事件起こそうと、関係ないんじゃないのか? 「罪を憎んで人を憎まず」って、そういうことじゃないのか?
 作品自体を消し去られかけることに対する反駁がもちっとあってもよかったんじゃないのかなあ。今回の件、みんな、内心では面白がって見てたかもしれないけれど、ある存在自体がまるまる否定されるってとんでもないことなんだけど。


 もういい加減、「王将」と「めしや丼」には飽きているのである。
 別んとこ行こうよ、としげを説得して、「ザ・メシや」。

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07月11日(木)
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