ID:10788
無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
[491718hit]
■緩やかな統制に異議を/『七人のナナ』&『アベノ橋魔法☆商店街』最終回/『王妃の離婚』(佐藤賢一)
仕事帰りの晩御飯、どうするかと、車の中でしげに聞いたら、「今日は寿司の気分」だとか。
「でも、カネないし。諦める」
「諦めることないよ、俺が奢ってもいいし」
「なん、あんた、カネあると?」
「あるわけじゃないけど、寿司一回奢るくらいはあるよ」
「……明日は?」
「毎日はムリだよ! ってゆーか、毎日寿司食うかい、普通」
「……じゃあ、要らない」
「なんで? 寿司食いたいんじゃなかったんかい」
「食いたいけど食わん。だって、今日食って明日食えんのって悔しいやん」
悔しいってよう、そりゃ単にぜーたく言ってるだけじゃないか。貧乏人のクセにつましい生活はしたがらないやつなんだよなあ。
そのくせ、次の瞬間、「ねえ、どこか遠くに行きたいね」とか言い出すのだ、このスットコドッコイは。
「じゃあ、休みに三井グリーンランドにでも行くか? 前から行きたがってたろ?」
「いいけど、オレたちみたいなのが行っていいと思う?」
この「オレたちみたいなの」とはどういう意味だ。
実際の自分は傲慢なくせして、言葉だけは卑屈なふりをするこういったしげの態度に接すると、正直な話、イラダチを抑えきれないのである。しかも「オレたち」だなんて私もしげといっしょくたにされてるし。わしゃ三井グリーンランドに行っちゃいかんのか。行ったら追い出されるのか。っつーか、三井グリーンランドのどこにどう遠慮しなきゃならないのか。皇居やバッキンガム宮殿だって庶民に開放されてるんだ。どうして遊園地に遠慮しなきゃならん。
もう口を利きたくなくなって、「だったら行くな!」と言って、車の背もたれを倒して寝る。
素直に喜びゃいいのに、どうしてこうヒトコト多いのかな、しげは。
26日の唐沢俊一さんの裏モノ日記で、ワールドカップのあの加熱騒ぎを冷ややかに批評されているのを読んで、なんだかホッとする。
まずは香山リカ氏のエッセイに触れて、「若者の抑圧をその底に見、それを意図的に煽動する者が出てきたとしたら」という香山氏の言葉を引用されているのだが、これが杞憂でも何でもないことは既にオウム真理教の事件などでも証明されている。実際、乗せれば動くバカはいくらでもいるってことをマスコミが宣伝してくれたようなものだ。戦争を歓迎する人間は多くはないが、戦争になってしまったら、唯々諾々と従うのがほとんどの日本人の国民性だ。だから、国捨てて逃げても非国民じゃないって言ってるのに。そんな考え方してたら、世界の難民はみんな非国民ってことにならんか?
唐沢さんが「日頃、ドメスティック・エゴに対して冷笑的、あるいは否定的な見方をしている人が、サッカーというフィルターがかかっただけでコロリと愛国者になってしまう。こういうのは腰が座っていないのである」と書かれているが、腰が座ってないだけならまだいい。サッカー見ざれば人にあらず、みたいな態度を取られるのが迷惑なのだ。
これは「『クレヨンしんちゃん』はいいよ、見ようよ!」という趣味に関する勧誘とは全く質が違うものだ。私は普通の人が『クレヨンしんちゃん』を見ないからと言って怒りはしないが(日記中で私が腹を立てていたのは、あくまで「劇団員」や自称「オタク」のくせに『しんちゃん』を差別している点であることに注意していただきたい)、彼らは彼らに同調しないこと=敵と見なすのである。
そりゃいくら何でも考え過ぎじゃないか、と言われる方もあろう。しかし、単にサッカーが好きなだけなら、ワールドカップ以外のサッカーの試合にだって、興味を示すはずではないのか。なのに、今のサッカーバカの大半は、「日本を応援する」ことにしか興味・関心がない。深層にある共同体意識や愛国心を、「趣味」や「嗜好」のオブラートに包んで提示していることは否定のしようがないのである。
私は何もナショナリズムを全面的に否定しようとは思わない。
ただ、国に対する思いを、仮想敵国を作る、敵を倒すという形でしか表せないのは、結局は精神の脆弱さを露呈しているだけであり、いずれは何者かに洗脳煽動される危険を孕んでいることを指摘したいだけなのである。
[5]続きを読む
06月27日(木)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る