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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■素敵なあなた(はあと)/CD『ぼういず伝説』/『コメットさん☆』DVDBOX2ほか
 風邪が全然治らない。
 しげが「クーラーかけて寝てるからだよ」と言うが、寒気は全くないのだ。熱もない。
 ただただ咳が止まらずノドが痛くて、鼻が詰まって息ができず、頭痛が頭を横殴りするように響いて、そして腹を下して血便が出ている。
 なんだかこのまま死んじゃった方が楽なんじゃないかと思えるくらいに気分も鬱になる。
 それでも今日はなんとか仕事に行こうと、着替えまではしたのだ。
 けれど、立ちあがって2、3歩歩いて、猛烈な目眩に襲われた。
 そのまま椅子に座りこむ。こりゃダメだ、と判断してまた職場に欠勤の電話を入れる。
 上司から「いい加減で体調を整えないと」と言われるが、定期的にメンテにゃ出してますよ。オーバーワークがメンテに追いつかないんですってば(-_-;)。 


 坊屋三郎さんが25日、心不全のため死去。享年92。
 名優、清川虹子さんを追いかけるような死だった。
 これで「あきれたぼういず」のメンバーは第1次、第2次、第3次含めても全て鬼籍に入ったことになる。
 しかし、新聞記事にも「あきれたぼういず」メンバーと書いてあるが、もうどれだけの人が「あきれたぼういず」のことを覚えているのだろうか。例の「クイントリックス」のCMですら、1974年、もう30年近く昔のことなのである。
 だいたい坊屋さんのことを「コメディアン」と呼ぶこと自体、本当はおかしい。「あきれたぼういず」はボードヴィルチームである。肩書きをつけるなら「ボードヴィリアン」が至当だろう。こういうことに記者が拘らなくなっているのも、現代ではボードヴィルショーが絶滅してしまっている悲しい事実を証明している。
 ったって、私だって、「ぼういず」の歴史は生まれる前のことで、母から話に聞いてただけのことだ。「自分が見聞きしたことのないものは語るな」と言う小林信彦の言に従えば何も言えないことになるが、それでも世の中には奇特な方々がいて、「あきれたぼういず」のCDなんつーものを出してくれてたりするのである。
 この『ぼういず伝説』を聞く限り、彼らをして、まさしく日本のマルクス・ブラザーズであったと呼称しても決して誉めすぎにはなるまい。戦前の収録だと言うのに、一曲に詰め込んだギャグのこの膨大さはなんということか! しかもただただナンセンス、よくも検閲だらけの戦前にこれだけパラノイアな録音が許可されたものだと感嘆する(実際はこれでも相当、発売禁止になったものも多いらしい)。どれだけ狂ってるかはぜひとも現物に当たって頂きたいものである。

 けれど、今やその「ぼういず」のメンバー自体を書き記さなければ、ワケがわからない。と言っても私だってCDの解説を引用せねば殆ど書けやしないのであるが。
 稀代のボードビリアン川田義雄(晴久)、坊屋三郎と弟の芝利英(モーリス・シュバリエのもじり)、益田喜頓(バスター・キートンのもじり)の4人が第1時ぼういずで、昭和12年の結成。彼らは関西の吉本興行の、東京進出の看板だった。
 しかしわずか2年後の昭和14年、新興キネマが川田以外の三人を引きぬき、山茶花究と組ませて第2次ぼういずを結成する。
 旗揚げのとき、彼らはマルクスブラザーズに扮したそうだが、グルーチョが芝利英、ハーポが坊屋三郎、チコが山茶花究。じゃあ益田喜頓はゼッポかと言うと、「馬」だったそうな(^o^)。
 戦時中は敵性語禁止のために名称を「新興快速舞隊」に変更して活動したが、18年、芝利英が応召(後、戦死)したため活動停止。しかし戦後の22年、残る三人でカムバック、26年の解散まで活動した。母が記憶しているのはこのころの「ぼういず」だったろう。
 川田は「ぼういず」の顔だったが、そういう事情で在籍していたのはわずか2年でしかない。しかし、後に「川田義雄とミルク・ブラザーズ(後に川田晴久とダイナ・ブラザース)」を結成。このグループのテーマソングが有名な『地球の上に朝が来る』であるが、『ぼういず伝説』にはボーナストラックとして、この曲も収録されている。

 坊屋さんはもともとオペラの松本芳能里の弟子で、本物のオペレッタをこなしたこともあるという。

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05月28日(火)
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