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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■また仕事休みました。/『コメットさん☆』DVDBOX/『ああっ女神さまっ』24巻(藤島康介)
病状ますます悪化。
とても仕事に出られる状態じゃないので職場に連絡をして休みを取る。
こないだ「どんなことがあっても休まない」と誓いを立てたような気もするが気のせいか。
上司は「はい、分りました」とあっさり答えてるけど、内心「またかい」と思ってるんだろうな。
もう気にしても仕方ないけど。
気分もすっかり鬱になっているので、何をしたら気晴らしになるやらと思い、まだ全部見切れていなかった『コメットさん☆』のDVDボックスを頭から見返す。今日一日で前半20話ほどを一気に見るが、テレビ放映時には見逃していたエピソードなどを確認して、人物関係がようやく分った。
地球に逃亡してきたタンバリン星国の王子様を探しに、というのがコメットさんの公式な地球訪問の目的なのだけれど、実際は母の思い出の国である地球に来たかっただけ。その母役を初代コメットさんの九重祐三子が演じてるものだから直接の続編、と勘違いしやすいが、見返して見て細部を確認してみると、設定は結構大きく変えられているようだ。
まあ、「イメージ的には続編」という程度なんだろう。
前半、コメットさんは王子様探しはそっちのけで、「輝き」探しに熱中する。
ところが、ここで登場してくる「輝き」を持つ人々というのがどうにもキャラクターとしての魅力に欠けるのである。
それはたとえば流木アートを作ってる青年であったり、デザイナーの卵の女性であったり、恋人の野球選手を応援しているバトントワラーの少女であったり、たいていステロタイプの「いいひと」で、そりゃ確かに「輝いてる」人たちかもしれないけれど、人間の輝きをそのいかにもイマドキな人たちに限定して語ってもいいものか、という気がしてくる。どうしてそこに飯場のガテンなおっちゃんなんかは登場して来ないのかね。
そういったおキレイなキャラクターを中心に据えても、ドラマとしてはいささか納まりがつきすぎる印象のものになってしまうのである。全体的にキレイごとになってしまった、と言い替えてもいい。
そのせいか、本作には、一昔前の「魔女ッ子もの」になら必ず登場していた「悪人」の姿が全くと言っていいほど見受けられなくなっている。たとえばそれは、貧乏でつい泥棒を働いたり、強盗、誘拐を働いたりする人々なのだが、『サリー』だろうが『アッコちゃん』だろうが、たいていはヒロインの魔法で改心する、という結末になっていた。それもまた御都合主義的な結末のつけ方ではあるが、少なくとも当時のスタッフには、「この世は善人ばかりで構成されているわけではない」という現実認識が作り手にはあったと思う。
善人の中にあってはコメットさんの仕事は基本的に「頷く」ことだけである。「星力」は、登場人物たちの運命に何ら寄与することがない。物語を彩るアクセサリー以上のものになっていないのである。
日本の魔法少女アニメって、もう少し「魔法」に対する見方がシビアで、「便利なものだとばかり思ってたら、足元を掬われるぞ」ってとこがあったと思うんだけど。
もしもテレビ放映時に、このあたりのエピソードだけを見ていたら、私も『コメットさん』を傑作、とは称えなかったかもしれない。幸いなことに当時は見事に見逃していた(^_^;)。
いい子でいようとするコメットがつい弱音を吐いてスピカおばさまに甘えてしまう『もう一人のコメット』など、テレビでたまたま見ていたのが珠玉のエピソードだったのだ。運がよかったのか悪かったのか。
マンガ、藤島康介『ああっ女神さまっ』24巻(講談社/アフタヌーンKC・460円)。
絵はどんどんうまくなってるんだけど、お話どうにかならんか。
考えてみりゃ、毎回毎回、蛍一とベルダンディーのノロケで終わるのは全部同じだし。……なんだかミッチーとヨシリンのバカップルを見せつけられてる野原一家の気分だぞ。しかも今回は桂馬さんと鷹乃さんのノロケまで見せつけられるダブルパンチ(*−−*)。せめて鷹乃さんがトシ相応の顔してりゃいいけど、どう見てもスクルドと同い年か年下にしか見えないキャラデザなんだよ。ロリコンとマザコンの両方を狙ってんだもんなあ。
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05月27日(月)
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