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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■この文も詭弁かもしれない(^o^)/アニメ『十二国記』第五話「月の影・影の海 五章」
 とりあえず、しげの足、跛は引かずにすむようになったようだ。
 舞台でうまく演技できるかどうかは分らないけれど、少なくとも日常生活に支障はない。
 「上から押さえない限り大丈夫」ということだけれど、スリッパはまだ履くと痛いらしい。それでも一応順調に回復しているようで、読者のみなさまにはご心配をお掛けしました。まだ医者からは「もしかしたら治ったように見えててもヒビが入ってるかも」と言われたらしいけど、気がついたらツイスト踊ってるから大丈夫でしょう。
 「オレって意外と頑丈?」
 とか言ってるけど、なんだかホントにしげって死なないような気がしてきたよ。


 山本弘さんのHP、『SF秘密基地』の特別掲示板、相変わらずトンデモさんに荒らされている。
 当たり前だけれど、トンデモさんは自分がトンデモさんだとは認識してない。 トンデモさんをトンデモさんたらしめる「トンデモ要素」ってのは、実は誰にでもちっとはあるんだけれど、そのことをしっかり認識してないと、「自分もまたいつトンデモさんになってしまうかも」という自分を客観視する視点が生まれない。
 一見、頭よさそうで、日常生活でもごくフツーに見える人が、「それゆえに」トンデモさんになっちゃうってこと、あるんだよね。掲示板の書きこみを見てても、論理的な文章書いてるつもりで、「ああ、この人、自分に酔ってるだけだなあ」って人がもう集まってきてること(^_^;)。
 余りにもトンデモさんの応酬が多かったのだろう、いちいち反論しきれなくなって、山本さん、『詭弁論理学』(野崎昭弘著)という本を紹介して、「トンデモ理論」というものが、どのように構成されるかを総括している。

 http://homepage3.nifty.com/hirorin/bookkiben.htm

 この本自体は読んだことないんだけれど、本当に「人と会話した」経験のある人なら、いちいち頷ける事例がたくさん載ってる感じだ。私も「二分法」でやられること多いし(^_^;)。
 その人の人格と意見の正当性とは別物ってこと、判断できない人間の方が世間にゃ圧倒的に多い。それこそ「論理的にものを考える」人間なんてこの世には存在してないんじゃないかって思えてしまうくらいに。
 私もつい、「所詮、○○○って○○○だからな」みたいな言い方することあるけど、それが非論理的な物言いだってことは知ってて使ってますよ。会話するためには相手に「突っ込ませる」ことも必要な場合があるんで、ワザと穴を作ってるのね。会話が進めば、ちゃんと自己批判してます。
 もっとも、そういうレトリックすら、「人を馬鹿にしてる」と勘違いされることもあるんで(会話シミュレーションで、あえていくつかのデータを無視して語ることはフツーなんだけどね)、最近はそれもしなくなった。実際、「会話のできる」人自体が年々少なくなってきてる気がしていて、もしかしたら私は将来誰とも語らず無言のまま過ごす老人になるのではないかと危惧するくらいだ(オマエにそれができるかというツッコミが聞こえてきそうだが)。

 けど、ここで紹介されてる「小児型強弁」のタイプの人間ってホントに多いよなあ。

(1) 自分の意見がまちがっているかもしれないなどと、考えたことがない。
 私もこう批判されること多いけど、たいてい、会話が進んで相手が反論できなくなって、こう言い出されること多いんだよな。「オマエ、自分がいつでも正しいと思ってるだろう」とか。負けそうになったからって、そんなこと言われても、私ゃ「そりゃオマエ自身のことだよ」としか言えないんだけどね。
 私は自分の意見が「絶対に正しい」と思って喋ったことなんて実はない。
 ある事実をもとに「仮説」を立ててるだけで、これは論理学の基本でもある。データが違えば別の結論が導き出されることもあるわけで、私ゃ、自分が勘違いしてるとわかったらすぐに訂正してるんだけどなあ。
 でも、そうやって私が「あ、間違えちゃった。ゴメン」と引いてるときの記憶って、相手はたいてい忘れてるのな。で、自分か批判された時の記憶だけで「アイツはいつも自分の立場だけ強弁してる」と思いこむ。妄想ですな。
 まず、会話を「勝ち負け」で判断してる時点で、トンデモさんだってこと。


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05月07日(火)
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