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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■トンデモさんの系譜/『こんなにヘンだぞ!『空想科学読本』』(山本弘)ほか
しげの足、「圧迫されなきゃ大丈夫」と本人は言う。
整形にかかるの連休明けだからな〜。それがホントならいいんだけどな〜。
「日本人のメンタリティは、戦前から変わっていない」とは、『人生は五十一から』で、小林信彦氏が語っていることである。
戦後生まれである私が「戦前」がどうであったか、ということを語ることはまさしく愚挙ではあるが、「戦前を知る人」(ま、私の亡母なんだけど。実は小林さんと全く同い年だ)の言をモトにして考えることはできる。
「敗戦によって、日本人や日本の社会が完全に一変したというのはフィクション」=「大衆は権力者に常に騙され、大新聞とテレビが権力者に寄りそう」というのはまさしく母の意見とも一致する。変わったのは表面的な「マスコミの意見」であって、日本人の「中身」ではないのだ。
「大衆操作なんて簡単だよな」とは某氏の言葉であるが(この人の本音だろうけれど、公共の場での発言とは必ずしも言えないので、名を秘す。でも誰のことか分る人も多かろう)、実際、権力者に「洗脳」されているのは宗教がかった人々ばかりとは限らない。カリモノの意識を持ち、それを自らの意志と錯覚して生きている人は確かに数限りなく存在するのだ。
まあ、いわゆる「トンデモさん」ってヤツね。
「別にそんなヤツほっとけばいいじゃん」と言われりゃ、その通りであるのだが、だって向こうから絡んでくるのだもの(^_^;)。しかも困ったことに、そういう「トンデモさん」が生まれてくるのは、その人本人に責任があるとは限らないところだ。言うまでもなく、戦前において、そういった「トンデモさん」を世間に排出させたのは、「国家」による「洗脳」だったからである。
見えざる「洗脳」に対抗するには、無責任だろうが何だろうが、小林さんのように、今、ここで考えていることをただひたすら書いていく、ということでしか対抗できない。それは必然的に、既存の価値に対する、悪口、愚痴、揶揄、罵詈雑言、という卑俗な形を取る。卑俗にこそ、実は大衆のエネルギーが存する。それはまさしく無責任な「井戸端会議」であり、「床屋政談」であるわけだ。私が政治についてマジメに発言してないのも、そんなことしたって何かが変わるわけじゃないからなのよ。しちめんどくさいこと言うより、「あの総理アホか」という声が大衆間に高まれば自然に結果に表れる。それを少なくとも「マスコミ先導にしない」ことが重要なのよね。
そのことをまあ、「無意味にこそ意味がある」とか「意味がないほどいい」とかいうイディオムで表現してるんだけどね。
「無責任な書き散らしをしたいんだったら、『2ちゃんねる』に行け」とも言われそうだが、発言自体は無責任であっても、パパッと書きこんだらいつでも「逃げ」が打てる匿名サイトには、私の文章はいささか長すぎるんでねえ(^o^)。
だからこそ、私自身の意見に対しても、批判もいくらでもどうぞ、というのがこの日記のスタンスなわけである。まあ、「覚悟」なんて言ったらカッコつけだけどね。
「ありふれた日常」を書く、ということを軽く考えている人は多い。自分の意見なんて、たいした知識を背景にしているわけでもないし、書いたところで「それがどうした」ってものにしかならない、と卑下している。
しかし、2ちゃんねるも含めて、ここまで巨大化したネット環境は、「洗脳」されている人間も、それに抵抗している人間をも全て包含し、その一つ一つの様相が今の「時代」の鏡となりえている。
非力な我々が「時代」と切り結ぶためには、まさしくその個々の「日常」をもって、「全体」を相対化する以外にない。……簡単に言っちゃえば、「挙国一致だ!」と言ってる連中がいくらいても「そんなんオレ知らんもんね」と言うヤツがゴマンといれば、戦争になんかなりっこないってこと。
小林よしのりはタクシーの運ちゃんが「自衛隊に入ってりゃ、いざというとき逃げられるよねえ」と愚痴ったのに反応して激怒したそうだが、実際に日本国民がみんなでこの国を脱出したら、そもそも戦争自体が成立しないじゃん(^o^)。
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05月05日(日)
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