ID:10788
無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
[491726hit]

■えっちな話をしても中身は書きません/アニメ『サイボーグ009』27話
 感動覚めやらぬ夜明け。
 もう一回、『戦国大合戦』(蛇足だけれど、タイトルのルビを見て確認した。これは「だいがっせん」ではなく「だいかっせん」と清音で読む)を見に行こうかとも考えるが、ちょっと興奮を冷ましてからでないと、また涙で画面が見られない、なんて事態になりかねない。
 全く、そこまで映画に没入してどうする。

 今、「没入」と書いたが、さて、これが果たしていわゆる「ハマる」行為に当たるのかどうか。
 やはり前日引用した唐沢俊一さんの日記では、「ハマるという行為は、破綻の部分を見ている方で補完することによって、その作品と自己が同一化する現象を言う」とし、この映画の完成度が逆に作品に「はまらせる」ことを阻害している、と説く。
 「ハマる」行為を唐沢さんのいうような行為と捉えていいものかどうかには異論があるのだが、言わんとすることは分からないでもない。

 この映画、ともかくツッコミがしにくい。
 「パロディ」を拒絶している、と言ってもいい。それがまさしく、「完成度の高さ」ゆえの結果なのではないか。
 つまりこんな心理が働くのだ。
 「どんなパロディも、この世界観を壊しかねない」。
 昨年、『オトナ帝国』の同人誌を企画した山本弘さんに、「今年も作るのですか?」と打電したのだが、答えは「NO」であった。山本さんご自身はまだ『戦国』をご覧にはなっていないということであるが、世評から判断して、「今年は同人誌の参加者は集まらない」と見たのではないか。
 実際、私も参加するとなればなんとしてでも原稿を捻り出そうとは思うが、昨年のように一日で一気呵成に五十枚の原稿を書く、なんてエネルギーが出るとは思えない。
 仮に廉姫と又兵衛の過去を描くとなると、ほんの五枚の原稿を書こうとしても、長編1本分を書くだけのパワーが必要になるだろう、ということが予測できるからだ。
 綿密な時代考証ばかりではない、その世界に生きた人々を、あの映画の世界観に繋がるように描く力量が自分にあるとは、とても思えない。
 私にできるツッコミは、せいぜい「幼稚園のみんな、400年以上も昔から先祖代々春日部にいたのかよ。……そんなに住みいいのか春日部」くらいのものだ。……つまんねーなあ。

 アニメブームを牽引して来た作品、『宇宙戦艦ヤマト』にしろ、『機動戦士ガンダム』にしろ、『新世紀エヴァンゲリオン』にしろ、作品の完成度、という点で言えばオソマツの一語に尽きる。にもかかわらずそれらの作品に我々がハマったのは、まさしくそれらの作品にあった「破綻」を、我々が心の中で補完していたからだ。
 具体的にそれは「パロディ」という形で現われる。
 既に『海のトリトン』で、日本初のアニメファンダムは出来上がっていたが、それは『ヤマト』、『ガンダム』で爆発した。
 女性を中心としたファン層は、同人誌活動を通じて、作品をイジクリ出した。
 そこに「ホモ」という要素を持ちこんで。
 『ヤマト』は「戦記・軍隊もの」である。
 SFであるかアニメであるか、ということ以前に、東宝や日活の戦記モノ映画の直接の現代版としてヒットした。当時、アニメファンは初めて出会う「戦記モノ」に、「宇宙SFモノ」の皮をかぶせられたために、それと気づかず熱狂していたのだ。
 マンガで言えば、そのルーツは、もちろん直接的には松本零士の「戦場ロマンシリーズ」であるのだが、「ホモ」のニオイをより感じさせていたのは、ちばてつやの『紫電改のタカ』である。『ヤマト』は明らかにその延長線上にある。
 実際、基本的に「男だけ」の世界である軍隊をからかうのに、「ホモ」というタームは、ずっと以前から機能していたのだ。
 ヤオイ、というパロディの方法は、その送り手たちが既にパロディとしての意識を全く持っていないために、まさしく「山なし意味なし落ちなし」のただのイタズラガキに堕しているが、それでも「作品の補完」という意味においてはかろうじて機能している。
 彼女たちが対象として選ぶ作品に、キャラクターや世界観に魅力はあっても、ストーリーの整合性やドラマとしての厚みが全くないものばかりが選ばれている点に注目すべきだろう(そうでないのはごく少ない)。

[5]続きを読む

04月21日(日)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る