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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■福岡デパート事情/映画『吸血鬼ハンターD』(1985)/『20世紀少年』8巻(浦沢直樹)ほか
福岡の老舗のデパートに「岩田屋」ってのがある。
んーと、江戸時代から続いてるのかな、最初は確か呉服屋だったはずで、それが百貨店になって発展してったってのは、よくある話。
天神の目抜き通りにドドンと面積占めてて、福岡のデパートの中じゃまあ、一番の古株、っつーか、ほかがつぶれまくっててもう岩田屋しか残ってない、そういう状況だった。
バブルが弾けても、ほかの地区と違い、福岡は元気だとは言われていた。なんたって、キャナルはできるわ、ホークスタウンはできるわ、リバレインはできるわ、どこからそんなカネが流れてくるんや、みたいな状況だったんである。
デパート競争も激化の一途をたどっていて、岩田屋と手を切った西鉄福岡線が三越と提携して最大のフロアを誇る巨大ビルをおったてる、対抗して岩田屋は裏手に「Z−SIDE」を建てる、アオリを食らったマツヤレディスはついに今度撤退を余儀なくされる……。
なんかスゴイことになっていたのだ。
結果として「勝った」のは三越だった。
岩田屋は「老舗」であることに慣れ過ぎていたのか、「ZーSIDE」はまあまあの集客は見せたものの、当初の予定ほどではなく、本館・新館の客は激減した。
そして、今度、社長の引責辞任が決まった。
そして岩田屋は「伊勢丹」に吸収される。屋号の「岩田屋」は残すという話だが、江戸時代から血族運営して来たN一族の撤退は大きい。何しろよかれあしかれ、彼らはまさしく福岡の「顔」だったからだ。毀誉褒貶、激しい人たちではあっても、「福岡の百貨店は岩田屋」、そういうイメージを築き上げていたのだ(オレは博多人なんで「玉屋」派だったけどな)。
地元に密着した経営が結果的に破綻をきたしたということは、ぶっちゃけた話、「福岡の人間に裏切られた」結果として、こうなった、ということなのだ。
福岡人は、情に厚いと言われる(自分たちで言ってんだが)。
そのことを否定はしないが、この「情」って、必ずしも「義理」に縛られたものではないよなあ、と昔から常々思っていた。
いったん見切りをつけたら、「乗り換え」が実に早いのだ。
「淵上」が「ダイエー」に吸収された時も、ライオンズがホークスにとってかわった時も(厳密に言うとちょっと違うが)、いとも簡単にみんな「乗り換え」たしな。
この実利的というか、粘着質でない妙にサバサバした気質は確かに私自身もそうかなとは思うし、まあいいとこだと言えはするのだろうが、反面「福岡人のナミダは信用できん」ということにもなってるのだ。
つまり、感動してくれはするが、約束守ったり責任取ったりはしてくれない(^_^;)。「人情はあるが義理はない」って、そういうことなんだよね。……ある意味、サイテー? かも。
岩田屋もがんばった(放埓経営と批判はあっても)。玉屋だってリバレインだってがんばった。けど、一度行ってみてつまんなかったら、もう足は運ばない。実にハッキリしている。それは「仕事に厳しい」、あるいは「結果を出すこと」を何より重視しているのだと評価することもできる。
けど、それってホントに「情が厚い」って言えるんかな、とは思う。「義理と人情」は本来不可分なものではないのかなあ。どっちかが重いってことでなく。 私ゃ岩田屋自体に義理はなかったから別にかまわんのだが、昔ながらの岩田屋ファンはどうしちゃったんだろうかね。三越に乗り換えて、はいオシマイ、かね。三越が岩田屋に比べて格段なサービスを提供したとも思えない。「新しいもの」「見栄えのいいもの」「イメージのいいもの」に飛びついた、それだけじゃないのかね。
実は私も三越は話のタネにいっぺんしか行ったことがない。本屋がつまんなかったので興味をなくした(それだけで判断するかね)。
私も福岡の人間である。移り気なところは確かにある。けれど「福岡人」とは言っても、「博多」の人間、実を言えば「博多の職人」の血筋である。「福岡は商業の街」とは言われるが、「商売人の血筋」ではないのだ。はっきり言わせてもらえれば、イメージ戦略のみに騙し騙される福岡の商売人気質を嫌ってもいる。
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03月01日(金)
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