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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■伝統と革命の間/『蟲師』2巻(漆原友紀)ほか
岡田斗司夫さんのホームページ「OTAKING SPACE PORT」の巻頭言に、歌舞伎についての書きこみがあったが、それがチョイと気になる内容であった。
唐沢俊一さんが2月24日の裏モノ日記に、「岡田斗司夫氏は要するに、才能というものは遺伝するものではない(こぶ平を見ればわかる)から、ただ血がつながっているということだけで家元だの名門だのといって御曹子たちをもてはやすことが伝統芸能の衰退を招いている、と主張していた」、と書かれていたのを受けての発言である。
「唐沢さん、僕は『歌舞伎は血統主義のせいでダメになった、と嘆いている』わけではありません。
血統主義だから技術レベルが低いのは当たり前で、そのことから歌舞伎ファンは目をそらすべきではない、と言ってるつもりです。
『面白くないし技術的にもダメだけど、でも伝統芸能だから素晴らしいんだ』というスタンス、いいじゃないですか。
映画とか漫画とかアニメなんていう歴史の浅いメディアは、面白いとか素晴らしくなきゃ芸術的に意味はない。
しかし伝統芸能の恐ろしさとは、『面白くなくてもダメでも、とにかく続いてるから価値があるんだ』という頑迷なようで深みのあるニュアンスまで射程に入れられる、というところではないかと」
実際のところ、岡田さんのこの文章見て、ちょっとアタタ、と頭抱えちゃったんだけどね。
言っちゃ悪いが岡田さん、思いっきりコトバの論理の筋を外してしまっている。
全ての文章を引用するわけにはいかないから、要約するしかないんだけど、唐沢さんはつまり「歌舞伎ファンの神経逆撫でするような言い方じゃ、せっかくの主張が伝わんないから表現考えろよ」と言ってるんである。
簡単に言っちゃえば「誤解を招くような書き方はモノカキならするなよ」ということ。
もっとわかりやすく言えば、「シロウトがヘタなことを言うと、恥かくよ」(-_-;)。
やっぱさあ、「血統主義だから技術レベルが低いのは当たり前」。
こりゃあ、ちょっとマズイんじゃないか。
歌舞伎ファンが激怒するのは当然だがね。
だってね、岡田さんの表現のし方は「新劇」の立場に立っての発想なんであって、「歌舞伎」の伝統性を前提にした言語になってないんだもの。
「面白くないし技術的にもダメだけど、でも伝統芸能だから素晴らしいんだ」。全然誉めてないって、これ(^_^;)。
これをね、「従来の『歌舞伎』を旧劇として排斥し、西洋の心理的表現を取りこむことで成立して行った『新劇』の立場に立てば、『歌舞伎』の表現方法は大仰で古臭く、新劇的手法に慣れた大多数の現代人からはつまらなく見えるかもしれない。しかし、『歌舞伎』には『伝統』の中で培われた独特の技術があり、いわゆる『所作事』を知悉した観客にとっては、『新劇』以上に細やかかつ大胆な世界が映し出されているのである」、こう書きかえれば別に歌舞伎ファンは怒らんと思うんだがな。
たとえば、歌舞伎には「おこつく」という動作がある。
一瞬、舞台上でよろめいて見せる動きを言うのだけれど、これ、よろめいただけじゃなくて、そのあと、必ず「立ち直ってシャンとする」のね(ついでだけど、このときの囃子を通称「ポテチン」と言う。鳳啓助のギャグのこれが元ネタ)。
つまり、「おこつく」ことで心理的動揺を示して観客の注意を引くわけだけれど、そのあとより整った姿勢を見せることで、その動揺から立ち直ろうとする意志すら見せる。けれど内面の動揺が消え去ったわけではない。はっきり言えば「から元気」だ。でも、その複雑な心理を観客は敏感に感じ取って、感動するのだ。そういった一連の動きまでも「技術的にヘタ」と言い切るのは、「無知」の謗りを受けても仕方ないんじゃないか。
そういう「所作事」が、様式化というかパターン化されてしまうと、やっぱり漫才のキメギャグみたいなもので、繰り返されるうちにつまんなくなっていくんじゃないか、と思われる人もあろうが、そう単純なものでもない。
必然性のないところで「おこつけ」ば、歌舞伎の観客だってやっぱり白けるのだ。いや、決められたところだって、ヘタな役者がやれば、舞台は確実に白ける。
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02月26日(火)
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