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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■ナンビョーY子さんのHP/『新世紀エヴァンゲリオン』7巻(貞本義行)ほか
ナンビョーY子のリカバリ室
http://homepage2.nifty.com/nambyo-yko/
なんだかいきなりのURLで驚かれたでしょうが、これは本日付けでめでたく開設いたしました、ナンビョーY子さんのHPであります。
え? ナンビョーさんを知らない? 嗚呼。それは大変残念。
では、ソルボンヌK子さんの『男前。』はご存知でしょう。
なに? それも知らない? 嗟乎。それは大変無念。
ならば、唐沢俊一氏の一行知識ホームページもご存知ないか。
ご存知ない。噫呼。それはもう、なんというかとてつもなく怒り心頭というか怒髪天を突くというか、おいコラその素っ首前に出しやがれこのダンビラでぶった切って犬の首とすげ替えてやらあと言うか。
まあなんだか坂口安吾と筒井康隆を混ぜたような下手な趣向でご挨拶いたしましたが、掲示板でも紹介ずみですが、先日から私が懇意にさせていただいているナンビョーY子さんのHPが立ち上がりました。
ナンビョーY子さんは、「悪性褐色細胞腫」という悪性疾患と闘病中です。全国でも数例しかないという珍しい病気ですが、5年以内の生存率が0%といわれるほどの難病なのですが、持ち前の元気で、発症してからも5年以上、頑張っていらっしゃいます。
ふとしたことがきっかけで、Y子さんからメールを頂き、お話をうかがう機会に巡りあいました。唐沢俊一さんの一行知識ホームページ内にある、ソルボンヌK子さんの日記、『男前。』で楽しいメールのやりとりをされていたのがY子さんです。
私はシメっぽい話が好きではありません。
病気やケガを自慢すると、「不謹慎だ」とか、「同情を買おうと思ってるんじゃ内か」とか言われることもありますが、そうではありません。
「病気」はその人のアイデンティティなのです。
なにをムチャ言いよるんや、とお怒りの方もいらっしゃるかもしれませんが、例えばこう考えてみてください。
先天的にある種の病気を抱えて生まれて来た人がいたとします。ならばその人は、そういうカラダに生んだ両親を恨みながら育つものでしょうか。必ずしもそんな人ばかりではないと思います。他人を「健常者」と呼び、自らを「障害者」と認識する。予めオノレとタニンとを差別化してみるから、ウラミや憎しみ、嫉妬の心が起きる。
そんなふうに考えなくても、人は自らの病気を友としてつきあっていくことが出来ます。横溝正史などは、70を過ぎて持病の結核が治ってしまった時、親友と別れるほどの寂しさを味わったと言います。
私たち病人がなにかをしようとして突然襲ってくる発作、怪我や病気の苦しみ、痛み、それはまるで病気を見捨てて行こうとするのを引きとめるビョーキちゃんのジェラシーのようです。
だから私たちは病気自慢をするのです。
私の妻のしげは、私が抱えている病気や、過去にあったケガの話をすると、「いいなあ」と言います。「カッコイイ」とも言います。「そんな経験、したことないもの」と。
実際、その病気と戦ってきた、乗り越えようとしてきた、それが私たちの心を形成し、成長させていったことは間違いないことなのです。病気なくして今の自分はありえない。そう認識した時、果たして人は「病気自慢」しないでいられるものでしょうか。
Y子さんのからだは、手術5回を経てもなお、肺に4個の腫瘍がのこっています。けれど、Y子さんはHPを立ち上げたのです。
「インターネットを通して、難病と闘っておられる方と共に 励ましあったり、あるいはバリバリの健康体の方達の元気を たくさんいただけたらという想いを込めて立ち上げたHPです」
Y子さんの巻頭言です。
Y子さんのエッセイや、ソルボンヌK子さんとのやり取りの記録、Y子さん以外にもここに集まった人たちの楽しい「闘病記」、コンテンツは盛り沢山です。ぜひともみなさん、お立ちより下さい。
ホントは相互リンクしていただける手筈になってたんですが、リンクの張り方が分らない……(^_^;)。
パソコン操作は全てしげの指示を仰いでいる(っつーか、私はマジでデクノボー)ので、しげと一緒にいるまとまった時間がないと、どうにもなんないの。……ううう(T∇T) 。
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12月02日(日)
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