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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■中華幻想/『仙人の壷』(南伸坊)ほか
 昨日はピーカンだったってえのに、今日はいきなリ土砂降りだぜ。
 ここしばらく外での土方(差別語だっていうヤツがいるが土方自身が土方って言ってるの見たこと何度もあるぞ。第一「土」「方」のどこに差別性があるってんだ)仕事が続いているので、正直言って雨に降られるとマジで辛いのだが、残念ながら私の超能力は聖徳太子の3分の2ほどしかないので、せいぜい雨を小降りにすることくらいしかできないのである。
 ……いや、本気で信じるなよ。
 騙されるやつはそうそういないとは思うが、一応こう書いておかないと、本気で「雨を降らしてください」とか、「ちょっと呪いたい相手がいるんですけど」なんて言ってくるやつがいるからな(←実話)。
 本当は風を呼んで雲をちょっと吹き飛ばせる程度です(^◇^) 。


 南伸坊『仙人の壷』(新潮文庫・460円)。
 中国の伝説を漫画化した作家、というと、真っ先に思い浮かぶのは諸星大二郎なのだが(『孔子暗黒伝』や『徐福伝説』、『無面目・太公望伝』『西遊妖猿伝』『諸怪志異』など、相当な数に上る。氏の作品を読んだことがない、なんて言ってたら、漫画読みとしては信用されないのでマニアになりたいって人はご注意を)、厳密に言えば諸星氏は「中国の伝説をもとにして」、換骨奪胎したパロディを書き続けているのである。
 南氏が以前に上梓した『チャイナ・ファンタジー』は、伝説を伝説のままに、ほとんど脚色ナシでマンガ化したもの。本作はその続編(一部は再録)で、ごく短い志怪小説が、南さんの解説つきで16編、紹介されている。
 ほぼ一頁につき2コマ、上段と下段に分けただけのシンプルなコマ割りだけど、これは当然意図したものだろう。「絵巻」的なムードもあって、いかにも中国風(なにがやねん)、これが実に味わいぶかい。
 南さんも文章解説で述べているが、中国の古典は簡にして要、その淡々とした語り口が魅力である。妖怪がいたら殴る。女がいたら抱く。ちょっと単純過ぎる嫌いがなくもないが、中国人から見たら日本人の愁嘆場なんかまどろっこしくってかなわないのだろう。
 畢竟、中国の不思議譚は、ムダがなく、精錬されたユーモア、あるいは恐怖が味わえるものが多いのだ。

 「四足蛇」の話など、男が四本足のヘビを捕まえたら(それ、トカゲとちゃうの?)、男本人にはそのヘビが見えるが、他の人には全く見えない。思わず男はヘビを投げ出したが、途端にヘビはその姿を現した。しかし今度は男の姿が見えなくなってしまった。
 「透明人間」って、伝染病だったのか(⌒▽⌒)。

 日本人なら、そこに何かの小理屈をつけたがるところである。つけられない場合はもともと記録自体、しなかったのではないか。
 心霊写真があれば、必ず「そこは昔の戦場」とか、「自殺の名所」とか、説明しなきゃ気がすまない民族だからねえ。解説できないものを極端に嫌うのだ。……だから差別や偏見が多いんだよなあ。

 でも、日本にだって、「不思議」を「不思議」のままに、特に解説することもせず、ただ記した物語がないわけではない。
 小泉八雲が『骨董』中で紹介した『茶碗の中』がそうである(小林正樹監督によって『怪談』中の一編として映画化もされた)。

 関内という武士が、茶碗に茶を注いで飲もうとしたら、そこに美男の姿が映った。驚いて茶を捨ててもう一度注いだが、また美男の顔が映る。
 関内が腹を立ててその茶を飲み干したところ、夜になって、一人の若侍が関内を訪ねてきた。
 「先刻、貴殿はそれがしをひどく傷つけなさいましたな」
 関内は抜刀して侍を切ったが、一瞬にしてその姿は掻き消えた。
 翌晩、三人の男が関内を訪ね、「貴殿はわが主人を傷つけなさいましたな」と詰問した。関内はこの三人も切ろうとしたが、その姿はやはり影のように消えた。

 これで終わりである。若侍は何者だったのか、この後、関内がどうなったのか、一切書かれていない。書かれていないからコワイ。
 小泉八雲は「この結末は読者の想像に任せる」としているが、多分この物語はこれで終わりで、続きなどはもともとないのだ。
 日本人も「恐怖」と「不思議」の関係をよく知っていた一例ではなかろうか。


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09月05日(水)
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