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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■山田風太郎死す/『新・トンデモ超常現象56の真相』(皆神龍太郎・志水一夫・加門正一)ほか
7月28日、山田風太郎死す。
享年79歳。
例えば、手塚治虫が存在していなかったなら、果たして石森章太郎や藤子不二雄や赤塚不二夫がマンガ家としてこの世に誕生していたかどうか、わからない。
よしんばマンガ家になっていたとしても、さて、後世に影響を与え得るほどの文化を築き上げていたかどうか。
今の若い世代、特に10代は、既に手塚治虫を知らない。
知らないことを恥だとも思わない世代である。
しかし、マンガに限らず、彼らが恩恵を受けている文化の殆どは、大なり小なり手塚治虫の影響を受けている。手塚治虫の功績は、そうした潜在化した文化を作り上げた点にあるといっていい。
小説の世界において、そうした作家がいるかと言われれば、私は一も二もなく二人の作家の名を挙げる。
大藪春彦と山田風太郎。
この二人がいなければ、今のマンガ、アニメ、特撮、時代劇、刑事ドラマ、SF、その他もろもろのエンタテインメントは、ほぼ壊滅状態になっていたと言ってもいいのではないか。
風太郎忍法帖。
『甲賀忍法帖』、『伊賀忍法帖』、『柳生忍法帖』、『くの一忍法帖』、『魔界転生』……遺作、『柳生十兵衛死す』に至るまでの膨大かつ絢爛たる絵巻。
昭和30〜40年代に大ブームを巻き起こしたその作品群は、無数の亜流を生み、更に亜流の亜流を生み、連鎖していった。
今や風太郎忍法帖の影響がないエンタテインメントを探すことの方が難しいだろう。
それは、単に忍者が出てくる、というだけのことではない。
彼ら忍者が風太郎作品の中では常にフリークスであったこと、歴史の影に埋もれる存在であったこと、にもかかわらず、彼らが紛れもなく「生きて」いたこと。あらゆるエンタテインメントをエンタインメントたらしめる要素を風太郎忍法帖は持っていたのだ。
直接的な影響は、マンガでは横山光輝『伊賀の影丸』や白土三平『忍者武芸帳』に顕著だろう。この二作が更に後世のマンガにどれだけ影響を与えたかを考えれば、間接的な影響は計り知れない。
忍者ものはそのまま、SF作品にシフトする。石森章太郎『サイボーグ009』、平井和正・桑田次郎『デスハンター』、などに風太郎忍法帖を重ね合わせることは容易だ。
山田風太郎は医科大出身であり、荒唐無稽なキャラクターにも一定の科学的根拠を持たせた。忍法帖シリーズがSFたりえた所以である。
そして山田風太郎創造の名探偵、荊木歓喜。
非合法の堕胎医にして、頭脳明晰なヨッパライ。
彼の設定は、偉大な二つの亜流を後に生んだ。
黒澤明の『酔いどれ天使』と、手塚治虫の『ブラック・ジャック』である。
もう一つ、直接的な影響を与えたものを指摘しようか。
かつて、宮崎駿が『シャーロック・ホームズ』をアニメ化しようとした時、初めコナン・ドイルの遺族の許可が得られなかった。そこで宮崎駿がとった手段は、ある小説を換骨奪胎してホームズ譚に取りこみ、似て非なるものにすることであった。
取りこまれたのは山田風太郎の『妖異金瓶梅』。
潘金蓮のキャラクターは、ハドソン夫人とモリアーティ教授に振り分けられ、応伯爵がホームズとなった。宮崎版のホームズがどこか冴えなくて、ハドソン夫人に頭が上がらないのは、彼が応伯爵だからである。
ここで大切なことは、この「模倣者」たちが、自分が山田風太郎のマネをしたことに、全く無自覚かもしれないということである(堂々とパクったのは多分横山光輝だけだ)。
手塚治虫に「ブラック・ジャックは荊木歓喜ですね?」と聞いても、きっと「いや、あれは私のオリジナルだ」と主張するだろう。しかし、手塚治虫が荊木歓喜を読んでいないはずはない。あるいは、黒澤明の『酔いどれ天使』を見ていないはずはないのだ。
それらの記憶は手塚治虫の潜在意識に深く沈潜し、そして数十年を経て顕在化した。もはや作者は、自分が何に影響を受けたかも覚えてはいない。
そして読者も、亜流作品を読むことで、知らず知らずのうちに風太郎のエッセンスに触れていく。
山田風太郎は、そのようにして、風太郎作品を読んだことのない人間の心の中にも静かに存在しているのである。
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07月31日(火)
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