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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■福岡腰痛クラブ/『庵野秀明のフタリシバイ』ほか
 半ドン生活になればゆっくり眠る時間が取れるかと思ったら、そうでもない。
 時間があればあったで、読みたい本、見たい映画はあるもので、つい読み耽り、ビデオ三昧の生活を続けてしまうものだ。
 私はあまり頭がよいほうではないので、一読三歎というわけにはいかない。二読半歎、三読一歎くらいが関の山である。
 それで、一度読んだ本は読み返し、一回見た映画もビデオで何度も見返すことになるのだが、そのたびにやはり新しい発見がある。
 と言うか、最初読んだ(見た)ときには、たいていなにかを見落としているのである。

 一昨日の日記に『チビ太の金庫やぶり』の元ネタはなんだっけ? と書いたら友人から「そりゃO.ヘンリーの『改心』やんか、ボケとんのかワレ」(東京人だからこんな喋り方はしないが)と指摘があった。
 おお慌てで岩波文庫の『オー・ヘンリー傑作選』を引っ張り出して読み返してみれば、まさにその通り。読んでるのになあ、なんで忘れるかなあ、と思いながらほかの短編を読み返してみたら。
 おい、大丈夫か、私の脳。
 『賢者の贈り物』も『警官と賛美歌』も、中学・高校の教科書に載るくらい有名で対訳本なんぞも出ているというのにまるで初読。いや、初読のはずはないのだ、その対訳本で訳したという記憶はあるのだから。……それとも訳がヘタクソで私は全く違う物語にしてしまっていたのか?
 あの有名な『最後の一葉』はどうだろう、と恐る恐る読み返してみたら、これも同様。いや筋こそ同じだけれど、私の記憶の中には、雨が吹き荒ぶ中、絵筆を持って壁に描いた一葉の色が落ちぬよう、何度も塗りなおすジイさん(ベールマンって名前だったんだね)の姿と、「神様! 私に今少しの命を!」と叫ぶセリフまで鮮明に残っていたのに、原作にはそんなシーン、全くないのである。
 ……記憶は作られるってホントだなあ。

 これは「なにかを見落としてる」例ではなくて、「なにかを作り上げてる」例だったな。だからまあ、本は何度か読み返さねばならないという結論は同じだけどね。


 早朝3時。
 しげがいつものように仕事から帰ってきた……と思ったら、いつもと違って、気の抜けた声をあげて、
 「助けてぇ〜。o(ToT)o 」
 「……どしたん?」
 「いきなりギックリ腰になった」
 仕事中、何か重いものを持った瞬間にギクッと来たらしい。
 立ってても痛い、寝てても痛いというのだが、その様子にまるで悲壮感がない。
 いや、本人が本気で痛くて苦しんでるのは解るんだけどさあ、痛みがズキンと走るたびに、「あひ〜」とか「うひ〜」なんてアニメみたいな悲鳴上げられてたら、こっちは心配する前に笑っちゃうんだよ。
 冷酷な夫ですまないが、面白すぎるしげが悪いのだ。
 「儚さ」とか「切なげ」という言葉がおそらく世界で一番似合わない女だからなあ。

 かと言って、見てて笑ってるわけにもいかないので、風邪引いてることでもあるし、医者に絶対行くように厳命して仕事に出かける。
 出かけようとして、ふと、気づいて振り帰り(コロンボか)、しげに言う。
 「……自転車で行くなよ。タクシーで行けよ」
 「どうして?」
 「その腰で乗れるンかい!」
 「ああ、そうか」
 私が言わなきゃ、自転車に乗るつもりでいたらしい。で、乗ろうとした瞬間、腰を痛めてることに気がついて「あうっ」となるに決まってるのだな。
 風邪引きの時もそうだが、薬で熱を抑えると「治った」、安静にしていて痛みを感じないでいると「治った」と勘違いするくらい、しげは鶏頭なのである。
 ああ、こんな馬鹿が現実に存在するのだ。
 世界は不思議でいっぱいだナア。

 帰宅してみると、しげは腰にサポーターを巻いて、のへ〜っとくたばっている。
 「どうだった?」
 「どうって、湿布と薬もらったよ」
 「それだけ? 入院はしなくていいのか?」
 「なんで。入院しろなんて言われてないよ」
 ……こいつは、去年、車にはねられた時に入院を拒否してこっちに迷惑かけまくったこと、もう忘れているのだな。保険がおりる分だけそうしてもらった方が助かるんだけど。

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07月25日(水)
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