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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■夏到来! ……って暑いだけだって/『夢の温度』(南Q太)ほか
昨日までの天気と一転して、今日はピーカン。
つい昨日まで、また大水が出て川が氾濫するんじゃないかと心配していたのがウソのようだ。マンションのエレベーターの壁には、まだ「冠水の恐れがあるのでご注意下さい」というビラが貼られたまま剥がされていないが、この上天気ではいかにもマヌケだ。
いや、上天気どころの話じゃないぞ。
玄関を開けるなり、ブワッと熱風が押し寄せてきて、なんだなんだと驚く間もなく飛び込んでくる、耳を劈くほどのアブラゼミの大音声。
……季節の変わり目ってのは、もう少しなだらかに移って行くものじゃないのか。こんなに解りやすい夏の到来も珍しいなあ。
しかし今年も鳴いてるのはジワジワジワジワ、アブラゼミばかりだ。子供の頃聞いていたミンミンゼミの鳴き声は、福岡の町中ではとんと聞かなくなってしまった。
でも「セミの鳴き声は?」と聞かれれば、やはり「ミンミン」と答えてしまう。子供のころに習った「せみのうた」(さとう・よしみ作詞/中田喜直作曲)でも、全く何の説明もなく、セミの鳴き声は「ミンミン」に限定されていた。
歌の出だしは「せみ せみ せみ せみ せ みんみーん」で、まるで「せ『み』」だから「みーん」と鳴くのだとでも言いたげだ。
……ただのシャレじゃん。でも、これ、ちゃんと語源説の一つとしてあるのよ。方言によっては「せーみ」とか「せび」「せんみ」「しみ」「すーみ」と呼ぶ地方もあるようだから、説得力ないわけではないのだね。
ほかにも「セミ」の語源は、音読みの「セン」が訛ったものとする説があるが、この「セン」ってのは「震える」という意味なので、昔の中国人は、セミが腹を振動させて音を響かせていることをちゃんと知っていたのだ。おお、意外と科学的。
さて、中国でも「セミ」といえばミンミンゼミを指すのだろうか。そのへんは実はよく知らない。
ミンミンゼミは水のキレイなところにしか住めないということだから、明らかにその棲息区域は年々狭められているのである。もう何十年かしたら、すっかりアブラゼミに駆逐されてしまっているかもしれない。
第125回直木賞に、藤田宜永(「よしなが」って読むんだ。……今まで「せんすい」って読んでたわ。うーむ)『愛の領分』が受賞。
小池真理子さんと揃って、夫婦受賞ってのもお初だとか。でも実は私は、お二人の作品、全く読んでいない(小池さんのホラーにはちょっと興味があって何冊か買ってるんだけど、積ん読ならぬ埋もれ読になっている)。
読んでない人の話をなぜわざわざ日記で取り上げるかというと、この二人が強烈な猫マニアだからなのだね。
『文藝 別冊総特集 作家と猫』という雑誌で、自分たち夫婦がいかに猫が好きか、ってことを対談してたんだけど、まあ、ペット雑誌ならばともかくも、文芸雑誌でいったいどういう読者を想定しているのかわからぬままに、陽気に「猫話」に興ずることが出来ることに半ば呆れつつ、「これも猫の魔力か」と納得もしたのだ。
普通、作家同士の結婚って、数年で破綻するものなのだが(←偏見だけど実例多し)、この二人、妻の方が先に直木賞を受賞し、しかも収入も妻の方が多いという、離婚にはもってこいの条件があるにもかかわらず(だから偏見だってば)、未だにおしどり夫婦で有名である。
で、どうやらその秘訣(?)は「猫」にあるようなのだね。お二人がもし猫を飼っていなかったら、夫婦円満でいられたかどうか。いささか妄想は入っているけど、これ、意外と「文学的主題」ではないかと個人的に思っているのだね。
そういう名称で呼んでいいかどうか分らないが、世には「猫文学」というものが存在する。
エドガー・ポー『黒猫』は、猫文学の最高峰の一つだと思うが、あれは一言で言うと、ゴシックホラーと言うよりは、「猫好きの妻と猫嫌いの夫の悲劇」である。ハインライン『夏への扉』が『黒猫』にインスパイアされているという説を私は勝手に唱えているのだが、そういった骨組みで両者を比較してみると、結構通じるものがあるんじゃないかと思うの。
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07月18日(水)
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