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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■事故&カラオケ地獄変/『機動戦士ガンダム THE ORIGIN 始動編』T&U(安彦良和)
 事実を書きます。

 今日も朝から雨でした。
 雨合羽を着こんで、いつもの職場への山道を自転車をこいで行きました。
 下り坂の曲がり角、信号の向こうに通学中の小学生が人道一杯にたむろしていました。
 フードをかぶっていて視界が狭かったので気づくのに遅れました。
 子供たちは誰もこちらを見ていません。
 慌ててベルを鳴らしブレーキを踏みました。
 毎日の山越えでブレーキが利きにくくなっていた上に、雨が降っていたせいで、さほど減速は出来ませんでした。
 一人目は避けましたがその向こうにいたもう一人は避けられませんでした。
 男の子にぶつかって、自転車は止まりました。
 轢いた、というより押し倒した感じです。
 男の子は倒れました。
 「大丈夫? 立てる?!」
 顔を顰めて痛そうにしています。見ると膝小僧に血が滲んでいます。
 男の子の腕をとって立たせました。小さな、とても軽い子でした。骨折などはしていないようでしたが、痛くてかえって涙も出ないようでした。
 男の子の友達がワラワラと寄って来ます。
 口々に男の子の様子を聞きます。
 ケガをしたのは膝だけのようでした。
 リーダー格のような男の子が、「保健室まで歩いていけるようですから、ぼくたちが連れていきます」と言いました。
 私はその間「ごめんね、ごめんね」と謝るばかりでした。

 もし、人を死なせていたら、ごめんねですむ話ではありません。
 自転車でも充分人は殺せます。
 私はその程度のことも自覚していない馬鹿者なのでした。
 しげにその話をしたら、「人が避けてくれると思ってるからだよ」と言いました。更に「車の免許取るから、仕事の送り迎えしてやるよ」と言いました(私は視力が極端に悪いので、免許は取得できないのです)。

 人に反省することなど出来るのだろうか、と思うことがあります。
 取り返しのつかない失敗をした時、謝罪は事態を解決させるどころか、火に油を注ぐことになることすらあります。
 なぜなら、反省のしかたに人は「程度」を求めるからです。
 「その程度で反省したと言えるのか」と。
 私もこれまでに数々の失敗を繰り返して来ました。そのたびに思うのは、私の失敗を糾弾する人々の「憎しみ」の強さです。
 私は「憎しみ」そのものを否定はしません。たとえば私が人を殺したとしたならば、遺族の方が私を憎むのは当然だからです。
 しかし、「憎しみ」は必ずその人の心を押しつぶします。その人の夢も、希望も、理想も、憧れも。
 私が本当に心から「反省」しそれを実際の行動に移そうとするのなら、その人たちの「憎しみ」を解くことを考えなければなりません。
 しかし、そんなことが可能なのでしょうか。
 愛するものをなくした人の心を和らげることなど、その加害者には不可能なことなのではないでしょうか。
 私は自分の愚かさの原因を、人全体の愚かさにすりかえようとしているわけではありません。ただ私自身、一歩間違えれば人を殺していた立場になって初めて思ったのです。
 罪を償う方法なんてないのだと。私はただ、裁かれるのを待つしかないのだと。

 

 27日、トーベ・ヤンソン死去。享年86歳。
 昨年は弟さんのラルス(ラッセ)・ヤンソンさんが亡くなられた。月並みな言いかただが、まるであとを追うように逝ってしまわれた。
 トーベさんは生涯ご独身だったようである。弟さんと二人でムーミン谷の仲間たちの物語を紡ぎ出す生活は、トーベさんの人生そのものだったのであろう。
 この一年間、多分とてもお寂しかったのではなかろうか。

 アニメのムーミンは、旧シリーズは好きで嫌いだった。
 日本という風土に合わせて、原作を相当改変させていたせいであろう。東京ムービー製作の分も、虫プロ製作の分も、アニメファンはどちらが好きか、ということで論争していたが、どちらもムーミンのキャラクターが普通の人間の男の子だったのである。
 いや、もちろん外見じゃなくて性格がだけど。

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06月28日(木)
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