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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■今日までそして明日から/『私はスポック』(レナード・ニモイ)
あっ、また投票ボタンが変わってる。
「押せば〜?」って、しんちゃんかい(+_+)。
福岡の映画館は、某ホ○劇場を除いて全て踏破してるつもりだが、去年新しくオープンしたばかりのワーナーマイカル福岡東(粕屋町)にはまだ行ったことがなかった。
ちょうど今日から『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』が始まるので、場所の確認がてら、二度目の鑑賞。
正直なところ、もう二度目だし、最初に見たときほどの感動はあるまい、とたかを括っていたのだ。第一今度は、同人誌のためのネタを確認するためだから、メモ書きに気を取られて、映画の話の流れについてはいけまいと思っていたのだ。
ところがぎっちょん(←古い。でもこれ語源はなんなんだろね?)。
私はルノアールのココアより甘かった(←c.江口寿史)。
メモを取るたびに、1回目には見のがしていたカットやセリフに気がつくだけでなく、あちこちに張られていた伏線にも改めて気付く。
そうか、「スナック・カスカビアン」でしんちゃんたちがオトナになったのも「匂い」のせいだったのね。
ひろしの回想シーンは子供のころ、父親銀之助との二人乗り自転車のシーンで始まり、現在の家族の自転車シーンで終わる。そうか、「家族」は21世紀も繰り返すって、この時点で語られてたんだなあ。というか1回目そのことに気付いてなかった私がバカ。
前にもここで泣いたのに、今回も泣いてしまった。しんのすけの「とうちゃん、オラのことわかる?」のセリフに続く、ひろしの「ああ、ああ」と言うセリフ、こんなに情感がこもっていたのか。
声優陣の、一つ一つのセリフに込められた思いが伝わってくる。1度目は泣けなかった「俺の人生はつまらなくねえ!」のセリフにも泣けた。なぜここまで私ははまってしまっているのだろう。でもそんなことわからなくてもいい。後半、私の涙は一瞬たりとも乾く間がなかった。
音響もまるで違っていた。
特定の映画館を非難したくはないので伏字にするが、前回『オトナ帝国』を見に行った○○○○は、スピーカーをスクリーンの裏に置いただけのクソ設備であった。
冒頭シーンのビートルが、玩具ハウスに隠れたカスカベ防衛隊を探すひろしの足音が、5.1チャンネル(多分)サラウンドで聞こえてくる。
極めつけはクライマックス、タワーを駆け上るしんちゃんのBGMだ。
こ、こんないい曲だったとは。もはや涙は止めど無く流れている。
音楽、荒川敏行と浜口史郎。この二人の名前も忘れはしないぞ。
思わずハッとしたカット。
走るしんちゃんの姿に見入っている夕日町商店街の人たち、魚屋で「お魚くわえたドラ猫」が逃げて行くのにも気付かない。
あの『サザエさん』のルーティーンに町の人たちはもう背を向けている。
『しんちゃん』と『サザエさん』のどこが違うか。
『サザエさん』は既に様式の枠からはみ出ることなく伝統芸能化している。しかし、『しんちゃん』は永遠の幼稚園児でありながら、まだ今を生きていたのだ。
「とうちゃんの足の匂いより臭い匂いはないぞ」、そう言ってしんちゃんは走る。ケンが「足の匂いでも止められない」と言っているのに、全く聞いていない。しかも、ひろしが足止めをくらって足の匂いがなくなっているのに、しんちゃんは意味もなくタワーを駆け上がって行く。
デタラメだ。
ケンとチャコが自殺を思いとどまったのも、しんちゃんの勘違いとキジバトのためだ(あんな高いところに巣を作るとはあの鳩も相当おバカ)。
こんなにいい加減で、偶然に頼った結末はない。
でもだからこそ感動を呼ぶのだ。
ケンがふとつぶやいたように、私たちは近頃走らなくなった。意味のない行動を取るのが恥ずかしくなっていた。そつなくやり過ごすのが大人になることだと思っていた。
でも無意味で、無責任で、自由で、おバカな行動が、世界を救うことだってあるのだ。『うる星やつら4 ラム・ザ・フォーエバー』で、あたるがラスト、意味もなく走って世界を救ったように。
もう一度走ろう。
ただ意味もなく、夕日に向かって。
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05月12日(土)
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