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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■藤村俊二はよかったけれど/舞台『ラ・テラス』ほか
 わああ、ね、寝過ごしちまった。
 起きたのが八時過ぎ、『幻のペンフレンド2001』の最終回、せっかく再放送やってたのに録り損ねちまった。仕方がないので途中からテレビにかじりついて見る。
 『六番目の小夜子』を見た後だと、どうしても見劣りがしてしまうのはいたしかたないか。『小夜子』の出来がよかったのが、NHKにしては稀有であったのである(こらこら)。ドラマはやはり時代との関連無しには語れない。「学校の怪談」を巧みにドラマの中に組みこんだ『小夜子』に比べて、「ネットが人間とアンドロイドをすりかえて人類を支配しようとしている」という設定はどうしても70年代の名残にしか思われない設定なのである。さらにはキャラクターの配置も今一つで、後半、主人公とアンドロイドの少女以外のキャラクターの存在感がどんどん希薄になっていったのが痛い。ラスト、敵基地の突入の時、ほかのキャラが邪魔にしかなっていないのだ。
 それにラスボスがひさうちみちおってのはいったい何を考えているのか。黒板にイラストまで描きだしたときには頭抱えちまったぜ。裏ボスにエビスが出てくるんじゃないかと一瞬、妄想しちまったよ。
 全体的に間延びした印象を受けたのは、そう長くもない原作を12回連続に引き伸ばしたせいだろう。

 『マンガジンマガジンvol.2 江川達也』読む。
 良かれ悪しかれ、江川達也というマンガ家はマジメな人である。江川さんには明確な社会認識、教育観、人間観というものがあり、児童向けマンガであろうが、エロマンガであろうが、それを打ち出そうとする。
 マイナー作品ならそれはそれで70年代マンガ風で悪くもないんだろうけれど、メジャー作品でそれをやれば、読者の反発を食らうのは当たり前だ。マンガで説教を聞きたいヤツはそうそういない。
 『タルるーとくん』と『DEADMAN』くらいしかまともに江川作品を読んだことのない私が言うのもなんなんだが、もともと江川さんの絵がアピールする読者層というのは非常に狭い範囲に限定されていると思うのだ。ヒロインはかわいらしい顔、スレンダーなボディで、でもチチだきゃデカい。これに引っかかってくるヤツって、はっきり言えばラブコメ(清純系とエロ系の中間あたりの)好きなオタク連中だよね。で、なぜ江川さんはそういう客をターゲットにしておきながら「教育論」をぶち上げるのか。
 かと言って、コチコチの本当にクソマジメな教育家に江川さんが受けがいいかというと、それも違うのである。現行の教育システムを完全否定する江川さんの意見が受け入れられるはずがない。
 言ってみれば、江川さんは釣り上げられた魚に向かって「なんで釣られたんだよ、馬鹿だな」と言っている釣り人みたいなものだ。そりゃ、魚にしてみりゃ腹立つわなあ。いくら江川さんが「洗脳されるな、自分の頭で考えろ」と言ったちころで、オタクも教育家も、さらにはそれ以外の読者も、みんな「考える」ためにマンガを読んでるやつなど殆どいない。「洗脳されることで安楽な位置にいたい」ことを無意識に選択している連中に向かって、どんな言葉が通じるというのか。江川さんの立っている位置は本当に江川さんしかいないところなのだ。
 少なくとも田島陽子と本気で言い争うのはやめた方がいいと思うがなあ。

 女房の夢の話。
 五月に東京に行く予定なのだが、当日の朝、飛行機に乗り遅れた夢だそうだ。
 当日、どういうわけか私と別行動をとり、買い物をしていた女房、気がついたら出発30分前、慌てて自転車をかっ飛ばすけれど、カードを持っていないことに気がついて万事休す、東京のこうたろうくんからも「それ見たことか」とわらわれるという、なんだかなあ、な夢。
 基本的に強迫神経症なんだよなあ、女房のヤツ。

 夜、メルパルクホールでジャン・クロード・カリエールの『ラ・テラス』を塩浦ご夫妻と一緒に見る。
 あの『小間使の日記』の、『欲望のあいまいな対象』の、『ブリキの太鼓』の、『存在の耐えられない軽さ』のジャン・クロード・カリエールですよ。ちったあ期待しようってもんじゃないですか。なのに……。
 つまんないぞ。

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03月31日(土)
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