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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■♪それ行け、不倫不倫不倫、どこまでも♪/『萩原朔太郎写真作品 のすたるぢや』ほか
脚本家、松原敏春氏死去。まだ53歳だ。若いなあ。
名前だけはよく見かけるものの、この人の作品だから見る、という意識を持ったことはなかった。にもかかわらず、そのフィルモグラフィーを見てみると、結構好きな作品が多い。『ゲバゲバ90分』がデビュー作だったとは、トシの割りに結構古い。1969年だぞ。当時慶大在学中だったということだが、アレだけ先鋭的なギャグを(スタッフの一人だったとしても)21歳で考え出していたというのか。最終回、セットが掃けたあと、ぽつんと残った電話が鳴り出し、スタッフが受話器を取り、「はい、『ゲバゲバ90分』は今日で終わりです」と言ってそのまま去るという、余韻を全く残さない演出、アレはショックだった。いったい誰が考えたのだろう、松原さんだったのだろうか。
『カリキュラマシーン』と並べると、私と同世代のコメディーファンなら絶対に忘れてはならない両作品に関わっていたのだ。そういう人を認識していなかったとは不明なことである。
奇しくも遺作は『菊次郎とさき』。コメディアンのルーツを探ることを始めていた矢先だったのだろうか。
この日記を借りて以来、ほかのホームページの個人日記も時々覗くようになっている。人気投票のシステムもあるので、さて、どんなモノに人気があるのやらと1位を見てみると、毎回決まって『secret LOVE日記』というところ。
うわあ、これはいわゆる不倫日記ではないか。まあ別段私はモラリストでもなんでもないので、誰が誰と不倫しようが構わないのだが(あ、私が浮気したいという意味ではありませんよ、念のため)、その「不倫」という点を除いてしまえば、そこに書かれてあるのはただの切ない「恋愛日記」である。逆に言えば「不倫」という付加価値がついただけで世の人々はかくも好奇心をそそられ、スキャンダラスな匂いを嗅ぎ取り、鼻息荒く目をぎらつかせてコトの推移を追いかけ、恐らくは「破滅」を期待しつつ、投票を続けているのだ。
下らん、と切って捨てるのは簡単だが、実のところ我々は「愛」というモノに何の価値もなく、その付加価値たる「スキャンダル」のほうにこそ真の価値があることに気づいている。しかしその付加価値は本体たる価値がなくば存在し得ないものであり、ゆえに形骸的な価値に過ぎない「愛」が未だに「スキャンダル」の母体として珍重されているという実にややこしい情況を呈しているのだ。
つまり「破局する愛」こそが現代の愛の理想形なのである。で、それを忠実になぞったのが数年前の「失楽園」ブームであるわけだが、正直な話、レシピに忠実過ぎるメニューには食傷気味である。そろそろまた別のムーブメントが出てきてもいいのではないか。
いや、日記についてここまで突っ込む必要はないんだけど。
女房、ようやく『花嫁はエイリアン』のデータ収集を終えたらしい。字幕を全部ノートに書き写し、シーンごとに見えるアイテムをいちいち確認して、そこから映画の「作り」そのものを浮かび上がらせようという試みだが、今時大学生でもやらないような作業をよくやれるものだと感心する。この方法に更に分析能力が加われば、立派な評論家になれるんだが、そこで女房はいつも言葉を失ってしまっているのである。
女房はいつも口喧嘩で私に負けるとベソをかくが、要は対象を批評することで何を表出させられるのかという分析ができないから負けるのである。あともう一歩ってとこなのに惜しいなあ、と我が妻ながら思うのである。
『萩原朔太郎写真作品 のすたるぢや』読む。……と言うより、見る。
これが実に面白い。
題名どおり、大正から昭和初期にかけて、詩人の朔太郎が撮った写真を集めたものだが、ただ有名詩人が撮った、という点で面白いのではなく、その殆どが「ステレオスコープ」なのである。つまりは立体写真。……いや、大正だよ。ちょっと一瞬目を疑ってしまった。
マンドリン、手品ほか、当時としては斬新な趣味を数々もっていた朔太郎だったが、「普通の写真には全く興味がない」と言い、「立体写真は光学的に郷愁を写す」とまで言いきった朔太郎のそれは、徹底的に「奥行き」のみを追求した写真集であった。
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02月07日(水)
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