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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■肩がイタイ/映画『DOA』/『となり町戦争』/『魂萌え!』/マンガ『C.M.B.』第4巻(加藤元浩)
浮気相手の伊藤昭子(三田佳子)が「私は隆之さんのお葬式にも出られないのよ」と狂気の目で涙ぐむ。しかし、一人の女を狂わせるほどにまでに愛した男としての夫を、敏子は全く知らないままであった。この二人のいったいどちらがより不幸なのだろうか。
多分、不幸とは本人が不幸と自覚したときに生じるものなのだ。敏子がこれまで全く不幸でなかったはずはない。しかし、不幸に対してあまりに鈍感であった。あるいは目の前の不幸からあえて目を背けていた。
それが、夫の死後に鈍感さのツケを払わせられるかのように「自覚」を迫られたのだ。敏子の経験する不明も混乱も失敗も、全ては敏子自身に原因がある。夫が愛人にいみじくも伝えていたように、敏子は自ら「置物」になっていたのだ。
鈍感さはたとえそれが本人の本性であったとしても罪であるのかもしれない。
敏子のお人好しぶりを見るにつけそう思う。身の上話詐欺師の宮里(加藤治子)に自分から一万円を払い、塚本(林隆三)の誘いに乗って簡単に不倫に走る。いかに動揺して心が定まらない時であったとは言え、あまりに軽率で、50を過ぎた大人の女性といった印象は薄い。
このままで行けば、息子の彰之(田中哲司)や娘の美保(常盤貴子)に住居を乗っ取られるかもしれない……その寸前で、ようやく敏子は自分の愚かさに気付く。
気付いたのは、多分、敏子が「自分は一人」ということを知った瞬間だ。結局人は「自分しかいない」と知ったときにようやく自立できるのだ。
この映画には随所に「何気ない風景」が挿入される。
それは例えば、敏子が電子ジャーのふたを開けて、炊き上がったご飯をただ見つめているだけ、というカットだったりする。そこで敏子が何を考えているかは分からない。ぼーっとしているだけで、何も考えていないのかもしれない。それは分からないが、敏子がそういった「時間」を欲していることだけは分かる。
何かを考えているにしろ考えていないにしろ、自分としての第一歩を踏み出すためには、「時間」が必要なのだ。そうこの物語は語っているように思える。
「自分探し」の物語というものを私は基本的に好まない。探すまでもなく、自分はここにこうしてある。今の自分がニセモノで、他に真実の自分があるなどというシンデレラかみにくいあひるの子のような物語は、お伽噺の中だけでたくさんである。
敏子もまた、いったんは物語の中の自分に逃げ込もうとした。不倫という名のフィクションに身を置こうとした。けれども彼女は最後に自分の愚かさに気付く。それが敏子を最後の最後で救うことになる。観客もまた、そこでようやく敏子に共感できるようになるのである。
あと一本、映画を見たけど、やっぱり字数オーバーではみでたので、明日の日記で。
(続く)
02月12日(月)
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