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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■『Zガンダム 星を継ぐ者』再論/『神様ゲーム』(麻耶雄嵩)
 小学四年生にもなれば、大人がいかに奇麗事ばかりを言っているかには気がついてくる。連日テレビや新聞で報道されている事件の数々を子供が何も知らないと思っているのだろうか? いや、実際に家の近所で殺人事件があったり包丁男が学校に乱入したり、親父が浮気してたりするなんてことを子供たちは経験しているのだ。なのにそんなことは「なかったこと」のように大人は振舞う。そうすれば子供には何も分からないとでも思っているのか? 何という傲慢か! 「汚いものは見えないように」いくら大人が腐心しようと、殆ど徒労であるのに、そんなことにも気がつかない大人たちは、子供の目からは馬鹿か卑劣漢にしか思われまい。
 作者は本作を通じて少年少女たちに訴えている。「君たちの生きている世界はこんなに汚い世界なんだよ。救いなんてない世界なんだよ。でも君たちもいずれそんな世界の中で大人になって生きていくことになるんだ。だからと言って、君たちはそこで『神様』に頼るかい?」と。そして大人たちにも怒りをぶつける。「いつまで奇麗事だけの物語を子供に与え続けるつもりだ?」と。
 ミステリブームの中心をマンガが担っていることは誰も否定できないことだろうが、さらにその中心にある『名探偵コナン』がどれだけ下らないか、指摘する向きが少ないのはなぜか。もちろん、残酷な殺人事件ばかり描いて教育上よくない、と批判する大人もいないではない。しかし、『コナン』が下らないのは、残酷だからではない。そんな批判は的外れもいいところで、あのマンガの一番下らないところは、どんな事件も全て奇麗事で落ちをつけ、解けない謎はない、真実はいつも一つと能天気に主張しているところである。こんな欺瞞がどこにある?
 読者の中にはこの『神様ゲーム』のあのラストを、「そんな馬鹿な」とか「意味不明」とか言うやつもいるだろうが、それはミステリが「全ての謎が論理的に解決されるもの」だと錯覚しているからである。
 現実の社会を考えた場合、全ての「謎」が解明されることなどはありえない。ミステリもまた文芸の一つである限り、その法則から逃れることはできないはずであるし、無理に「たった一つの真実」などがあるように主張すれば、ただの一人よがりで自己満足な駄作にしかならないのだ。『コナン』のおかげでどれだけミステリの読み方を間違える馬鹿が増えたか、あれくらい罪悪なマンガもない。
 ここでハッキリと断言しておくが、ミステリの本質は、「いったん全ての謎が解かれたように思った後にもなお残る人間の謎を提示すること」にあるのだ。「論理的に全ての謎が解かれること」なんて概念はもう百年前の古い定義で、糞でしかない。横溝正史の『獄門島』がしばしば日本ミステリの最高傑作と評価されるのは、事件の謎が全て解明された後、犯人の「動機」そのものが崩壊してしまう「運命の不条理」が描かれているからである。それに対して金田一耕助の「孫」を僭称するバカマンガがくだらないのも、横溝ミステリの本質を理解していないからだ。 
 作者は読者に対して子供だから大人だからと言って一切容赦はしていない。作中には、残酷な犯罪者も変質者も堂々と登場する。さりげなく「ジェノサイド」とか「ネクロフィリア」なんて言葉も全く意味が説明されないままで使われている。再度繰り返すが、そんな現実だって身近にあるというのに、大人は子供に対して情報を抑制しているのだ。この本を読んだ年少の読者が、自分の親に「この言葉どういう意味?」と質問してきたときに、どれだけの親がきちんと「現実」も含めて説明してやれるだろうか。コトナカレな親が増えている現在、それは全く心許ない状況だと思うのである(これは一つの事例に過ぎないんで、作者が言いたいことは、大きく「現実をきちんと子供に理解させ立ち向かわせる勇気と覚悟を親は持っているのか?」ということであることに注意すべきだろう)。
 本作のラストが意味不明だとかアンフェアだとかほざく人は、メールでなら全部解説してあげられるから、質問してきなさい。ミステリはネタバレ厳禁だから、公開日記じゃこの程度の抽象的なことしか書けないんだよなあ。結局、何が言いたいのかわかんねえよという文句もあるだろうが、こっちだって隔靴掻痒なのである。



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07月26日(火)
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