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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■だから鬱になってるヨユーなんてないんだって/『鋼の錬金術師 シナリオブック vol.1』
 これは実は、ジャンプ的「友情・努力・勝利」の完全否定なんだね。当然この観念も梶原一騎の影響下にあるもので、彼らの勝利は「真の」友情の結果でもなければ、「真の」努力の成果でもない。どんなに「それらしい燃える言葉」が羅列されようと、彼らの勝利は「なぜか勝ってしまった」としか言いようがないものである。客観的にヒレツな行為ですら、登場人物たちの“誰一人として”ヒレツだと思わなければ(つか、「堂々と言い放って」言いくるめられれば)何となく許されてしまう。主人公の不屈闘志の「堂々としたヒレツ」なキャラクターに、ほかのキャラクターたちが全て巻き込まれて「洗脳」されていってしまい、結果的に「誰もがヒレツだけど立派に見えてしまう」という、トンデモない世界が現出してしまうのだ。散々非道なことやっといて、「それはそれ!! これはこれ!!」と堂々と言い張るようなもんで(ちゃんと作中でそう言ってるのである)、基本的に詐欺と変わらんのだよなあ、このマンガ(^_^;)。
 でも、だからこそ面白い。梶原一騎的熱血スポコン漫画だったら、こいつらは真っ先に「粛清」されてしまう軟弱キャラだ。だって、こいつら、基本的に精神主義ではあるけれども、カジワラ的な「修行」はしてないから。つか、カジワラの修行にだって実は意味なんてなかったのだが、その「無意味な修行」がなぜか結果を出してしまうという点をパロディにして最後までそれを押し通しているのである。彼らは「自分たちは軟弱ではない」と「根拠もなく」思いこむことによって、ただ勝利していく。結果的にそこでは友情も努力も、そして勝利の価値さえも無化されていく。島本マンガの本質は「燃える無意味」なのであり、「勘違い人生でどこが悪い。みんな勘違いして生きてんだ!」という堂々たる主張なのである。もっとも、キャラクターたちはみんなバカなので、自分たちの行動が客観的にどう見えるか全然自覚してないが。
 ……まあ、ホントに「努力が大切」と信じてる人には嫌われるし、人気は出ないわな、こういうマンガ(^_^;)。でも、羽住英一郎監督は島本マンガの本質をちゃんと「分かってる」と思うのである。でなきゃ、サカキバラ・ゴウ役にココリコ田中を起用したりしませんて。まあたいていのマンガファンは藤岡弘、(「、」を忘れないでね)のイメージでサカキバラを見てるとは思うんだけど、藤岡さんに演じさせたら藤岡さん自身のセルフ・パロになっちゃうから、それはあまりに失礼というものなのである。藤岡さんはいつだって真剣にヒーローを体現すべく努力されているのだから、ファンを自認する者ならば、たとえそれが「藤岡弘、探検隊」であろうが決してツッコんじゃいけないのである。

09月25日(土)
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