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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■またまた風邪悪化/『別冊宝島Real まれに見るバカ女』/『宇宙をぼくの手の上に』(山本弘)ほか
けれど、それならば私がつけたようなアンハッピーエンドは、「甘く」もなく、「安易」でもない、と言いきれるのかどうか、と考えてみたらどうだろう。どうもね、それもやっぱり「現実」にだらしなく依拠しただけの「安易な」結末なんじゃないかな、という気がしてくるのだ。
そのときになって初めて、山本さんの意図が、そしてこの小説の「価値」が見えてきた。
確かに、ラストのアイデア、生体宇宙船である戦闘艦ドームズデイ・シップを「改心」させるために、クルーたちの全データを送信するというアイデアは、SF設定として面白くはあっても、理想的に過ぎる、という気はしないでもない。なんか映画『ウォーゲーム』の焼きなおしみたいだな、という感触もあるし。
でもって、実際にジームズデイ・シップは、光り輝く純白の宇宙船に変貌し、戦闘艦としての呪いから解放されるのだが、ネットでの仮想現実とは言え、ご都合主義の謗りを受ける危険は充分にある。
何より、こんなことで現実の谷崎少年が、自首する可能性は低いのではないか?
けれど、やはりこの物語にアンハッピーエンドはふさわしくないのだ。
実体のない言葉だけのやりとりに過ぎないと批判されることも多いネットの世界だが、ならばネット社会には全く希望は見出せないものなのか。
ネットに居住する人全てが2ちゃんねらーであり(^_^;)、便所の落書き的意見の垂れ流ししかできないものなのか。
そんなことを言い出すなら、そもそも人間どうしのコミュニケーション自体が、単なる本人どうしの思いこみに過ぎなくなってしまうのではないか?
パソコンを通じて知り合った、顔も見えない人と人との間にも心の交流がありえる、と考えて、何が悪い?
現実的、と言えば聞こえはいいが、ただニヒルを気取ってるだけで何一つ理想を語らない姿勢が、果たして何かを生み出すものなのだろうか。
確かに、現実は甘くない。
けれど、理想を語らぬ現実と、信頼や友情を熱く語る虚構のどちらが魅力的か、と問われれば、私は躊躇なく、後者である、と断言する。
理想を語らない作家もいる。それはそれで、それがその作家の姿勢だから別に文句はつけない。けれど山本さんは「理想を語る」作家なのだ。なのに「あの人は理想を語りすぎる」という批判をすることは、そもそも的外れだろう。
安易な自己犠牲で宇宙船クルーが死にまくる映画『アルマゲドン』に対する山本さんの怒りもここにはあるような気がするな(^o^)。
01月13日(月)
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