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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■鮎川哲也、死去/『手塚治虫の奇妙な資料』(野口文雄)ほか
 その殺しの釣りの技術ってのが、要するに爆弾を釣りで遠くまで飛ばすってんだけど、確か、爆弾を使った漁業の仕方がホントにあったな。もしかしてそれから発想したのか。
 けれど、これくらい書くのに楽な脚本もないよなあ。ワク組は全部同じだし、あとは変なキャラを登場させるだけでいいんだもの。ファンがこういうのを楽しむのはまあいいとして、作り手の立場になると、やっぱり「ラクしてんじゃねーよ、世間にウケてるのはこれを宮内洋が演じてくれてるからだろーが」とヒトコト言ってやりたい気分になって当然と思うんだが。


 野口文雄『手塚治虫の奇妙な資料』(実業之日本社・1785円)。
 手塚治虫に改稿癖があったことは有名である。
 雑誌収録時の作品がいったいどういう理由があったのか、コマが切り張りされ、絵が改められ、ときにはストーリーそのものが変更された。
 そんな首を傾げる事態が、その生涯において休むことなく繰り返されていたのだ。もちろんそれは水木しげる評するところの、手塚さんの「一番病」ゆえであろう。ともかく自分の作品が読者に「古い」と断ぜられるのが怖くて仕方がなかったのだ。
 作者の野口さんは熱狂的な手塚フリークらしく、「どうして変えちゃったんですか!」と愚痴は言っても、そういった明確な批判はしない。妙に手塚さんに摺り寄るような文章になってるのが、読んでいて気持ちの悪さすら感じるところだ。「結局どちらがいいかは読者の好み」って、それなら批評本を出す意味だってないじゃん(^_^;)。それはその通りなんだけれども、何かを批評するのなら、ある視点に立てばこう考えるしかないってこと、自分がなぜその立場を取ったかを明確にした上で語らなきゃ、何もか語ってないのと同じなんである。
 そういうフラフラした見方なもんだから、もう文章はときには妄想の域にまで達していると言わざるを得ないところまで来てしまう。
 『ハトよ天まで』で、新聞連載時にはあったが単行本で削除されたページについて、手塚さん自身は「代筆部分を削った」と語っているのだが、野口さんはなんの根拠もなく「どう見ても代筆というようなヒドイ代物には見えない」と断定する。「もし当時これほどうまい代筆者がいたら、手塚マンガにあれほど歴然たる代筆場面が散在するはずがない」とか書いてるんだけど、手塚さんが毎回代筆者変えまくってたのは有名なんだから、その中には手塚さんの絵にソックリなの描ける人もそうでない人も混じってて当然じゃないのかね。第一、テレビアニメスタッフはできるだけ手塚さんの絵そっくりに描くことを鍛錬されてたじゃないの。「うまい代筆者」なんて、昔から今に至るまで、吐いて捨てるほどいたよ。出崎統なんか、実際に『少年』に特別編として『鉄腕アトム』を本物そっくりに描いてたし。
 じゃあどうして毎回アニメーターに代筆させなかったのかって反論されるかもしれないけれど、あのね、アニメーターってそんなにヒマじゃないの。アニメーターにとってはアニメは仕事だけれど、手塚さんにとっては(本人の意志はどうあれ)余技だからね、たまにならともかく、そんなにしょっちゅう代筆なんてしてやらないってば。
 それに、言っちゃあなんだが、野口さんの「代筆に見えない」って主張自体が私には根本的に間違ってるように思えてならないんだけどね。キャラクターのポーズやアングルが単調で、しかもヒョウタンツギばかり出して線の違いがバレるのを隠してるあたり、私には代筆にしか見えないんだが。
 だから手塚さんの代作を少しでも減らしたいって心理は分るんだけどさ、批評にもならない駄文を書き連ねられても読者は頷けやしないよ。まあ、絵自体は豊富に掲載されてるんで、手塚ファンなら、文章を読まなくても買って損はないです。

09月26日(木)
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