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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■まあ、冷静な人間なんていないんだけど/『小説ウルトラマン』(金城哲夫)ほか
 巨人2年ぶりのリーグ優勝、原監督就任1年目での優勝ってのは、長島も王も成し遂げられなかったことであるわけだから、一応、快挙と言ってもいいのだろうな。
 死んだお袋が原辰徳の熱狂的なファンで、LPまで買ってたくらいなんで(今は私が引き取っている。おそらく死ぬまで二度と聞くことはあるまい)、極楽か地獄か中宇でさぞや喜んでるであろうが、私は野球は王貞治の引退で、相撲は千代の富士の引退で興味がすぽーんと消えてなくなっちゃったので、まあ勝とうが負けようがどうでもいいのであった。ああいうのに熱狂するのは自分が「少年」で、遥かな高みへの「憧れ」があるからなのであって、今更このトシになって、ゴジラ松井のどこに憧れりゃいいんだか。
 しばらくは、どこのデパートでも、安売りセールと称して、実は普段とたいして変わらない値で売れ残り品をサバくようなアコギな商売をさらしてくれるのだろうな。値段ってのは商品の顔なんだぞ。安易にテキトーな値段をつけることが、商品自体の価値を貶めることになるってこと、解らんのか……って、これも昔ながらの職人の意地に過ぎんのかね。


 北朝鮮の拉致工作の実態の一端が少しずつ明かされている。
 と言っても、日本の調査でそれが判明したわけではなく、韓国当局の調査によるものってのが情けない話だが。
 1980年6月のある夜、平壌放送で流された「29627」という数字が工作員の生年月日「(19)29年6月27日」を意味していて、拉致決行の合図だったとか。原敕晁さんが、宮崎県の青島海岸から工作船で拉致されたのはその翌日のこと。

 どうも腑に落ちないのは、工作員の辛光洙容疑者、韓国に逮捕されたのが85年のこと。その情報は当然日本にも伝えられてたんじゃないかと思うんだが、どうして今までニュースにならなかったのか。やっぱり外務省の情報隠しか。
 いや、似たような情報はこれまでも何度かワイドショーなんかで取り上げられたことがあった。ただそれは全部断片的で、継続したニュースとしてマスコミが報道してきたのは横田めぐみさんらごく一部のものでしかなかった。

 結局、膨大な情報の流れの中で拉致疑惑のニュースなんて忘れられていったってとこが真実なわけだ。政府だけが無策なわけじゃない、適当な情報を流して事足れりとして来たマスコミも、それを受けても聞き流してきていた我々大衆も、結局は同罪なのである。電車の中でやくざに絡まれてる女子高生を周囲が見て見ぬフリしてるのと同じやね。でも、それが大衆の心理というものだ。
 だから本来、「今まで政府は何をやっていたのか」なんて、エラソウなこと、大衆が軽々しく言えるものではない。今までノンポリ通しておいて、何か事あれば慨嘆してみせるっての、言っちゃなんだがいささかみっともなくないか。

 もちろん私だって、その「大衆の無責任」にだらしなく乗っかって、政治の腐敗も世界を揺るがす大事件もみな、対岸の火事として看過して来たわけである。
 「『日本はどうなってるんだ』なんて嘯いてるくらいなら、オマエが政治家になったらどうだ」なんて突っ込まれたら、返す言葉もない(ないからもちろん政治家になんかならないが)。
 しかし、自分が社会に対しても、ごく身近な他人に対しても、全くの無力であり、所詮は矮小な一個人に過ぎないと自覚した時、我々は「無責任」という枷を引き受けざるをえないのである。それはもちろん卑怯卑劣な行為であることに違いはないのだが、では、何の才もない人間が、さも我こそは、と自らに語るべき資格があるかのごとく、権威を振りかざし、しゃしゃり出た時、どういう事態が起こるか。
 仮に、あなたが、外務省の人間だったとして、拉致問題に被害者の身になって対処しただろうか、考えてみたらいい。人は追い込まれねば、そうそう他人のために積極的に動いたりはしないものなのである。外務官は外交の専門家だろう、専門家が自分の仕事しないでどうする、という批判は正論だが、専門家でない人間に専門の仕事が任されてる実態は、外務省に限ったことではない。そもそも日本人が働きバチなどと言われたのは、日本人の大多数が有能だったからではない、上意下達のイエスマンがそのほとんどだったからではないか。

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09月25日(水)
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