ID:10788
無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
[491726hit]

■野良犬は革命ごっこの夢を見るか/映画『血とバラ』
 「カミーラ」とか「カーミラ」とか、日本語表記は一定してないけれど、発音を聞いてみると、「カ(ル)ミーラ」(アクセントは「ミ」にあり)って感じ。
 こりゃ表記不可能だわな。フルネームはカーミラ・フォン・カーンシュタイン(カーミラ・フォン・カルンスタイン)。なんだか名前だけ聞くと吸血鬼の系列より人造人間の系列みたいに聞こえるね。
 冒頭、いきなり飛行機の滑走路か現れて度肝を抜かれるが、これ、なんと現代(第2次大戦後のローマ近郊)の物語にアレンジしてあるんだね。けれど、古いカーンシュタイン家の描写が始まると、これってホントに現代? と言いたくなるような屋敷、衣装、風俗がバンバン登場してきて、監督がやはりこの映画を現代の「御伽話」として描こうとしているのだということが伝わってくる。
 語り手はカーミラ(アネット・ヴァディム)自身。このあたりも原作を脚色。原作はローラという少女の一人語りなんだけれど、これが映画ではジョルジア(エルザ・マルティネリ)という女性に置き換えられて、彼女の婚約者・レオポルド(メル・ファラー)を、この二人の女性が奪い合う展開になっている。
 カーミラはこの争いに敗れて、失意のうちに先祖のミラーカの墓に赴くのだけれど、ここでかつての吸血鬼の悪霊に乗り移られる……ということになるのだね。「表面的」には。
 「表面的」と言ったのにはわけがあって、実はこの映画、明確な吸血シーンは全くないのだ。
 カーミラが「血が欲しい」と言って召使の少女を追いつめる。迫るカーミラのアップで画面は切り替わる。あとで崖から転落して死んでいる少女が発見され、首筋に傷が残っていることが確認されるが、「崖から落ちた時に付いたのだろう」と判断される。
 作男は、森で「自分の体をすりぬけて行った女の幽霊を見た」と騒ぐが、実際はカーミラは横を通りすぎただけだ。
 カーミラは自らの衣服についた血に恐怖するが、それは鏡に映った時にしか見えない(つまり、本当は血などついていなくて、それが見えるのはカーミラだけ)。
 つまり、カーミラが吸血鬼であった証拠はどこにもないのだ。主治医は、最後に判断し、レオポルドに告げる。「君が彼女の気持ちに答えなかったことが彼女を追いつめ、自分を吸血鬼だと思いこませた」と。即ち「吸血鬼」とはカーミラ自身の妄想だったというのである!
 しかし、カーミラは最後に語る。信じようと信じまいと、自分はこうして長い年月を生きて来たのだと。新婚旅行に旅立つ飛行機の中で彼女はそう呟いたのだ。ジョルジアのカラダに乗り移って。
 この結末も、心理学的には「カーミラを死に追いやった罪の意識から、ジョルジアは自分がカーミラ自身だと妄想するになった」ということなのだろうか。そう取れなくもない結末ではある。しかし、だとしたら女はなぜ永遠の命を夢想してしまうのか。それは女が「愛」という「無形」のものに自らの命を賭けているからだろう。少なくとも、カーミラとジョルジアという二人の女性に関してはそのようにしか見えない。
 ジョルジアは、カーミラがレオポルドを愛していると知りながら、「でも、私、カーミラのこと嫌いになれないの」と呟く。果たしてそれは真実の言葉であったか。もしや、無意識のうちに発せられた勝者の余裕の発言ではなかったか。
 その言葉を聞いたカーミラがどのような思いに駆られるかを想定すれば、到底口に出せないはずの言葉であるからだ。
 一つだけ、「吸血鬼=妄想」説に疑問を抱く余地のある描写があった。カーミラの持ったバラが、一度だけ色褪せ、散ったのだ。……これだけは「妄想」では片付かない。それとも、これはただの偶然なのだろうか。

06月07日(金)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る