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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■裸という名の虚構/『アイドルが脱いだ理由(わけ)』(宝泉薫)ほか
 そうしていくうちに、彼らは、やがてはアイドルに「裏切られる」こと自体、どこかで期待するようになっていった。つまり「アイドルはいつか脱ぐ」、そのときがいつかを「賭ける」ことすらし始めたのだ。
 同時期にデビューした女性アイドルの誰が生き残り、誰が消えるか。そして、誰が脱ぐか。人気があれば、「賞味期限」は延びて、なかなか脱ぎはしないが、ユニットを組んだグループは、たいていが数年で解散し、脱いだ。
 トライアングル、パンジー、ギャル、少女隊、セイントフォーなどは、デビュー当時からみんな確信していたはずだ。「いつかは脱ぐ」と。でも、そう考えるほうが、当時の男たちにとっては「健全」な発想だったのだ。
 逆に「この子だけは脱がないだろう」という気持ちでアイドルのファンになる男というのは、より強い独占欲でアイドルを見ていたことになる。で、彼らはそのままストーカーになったりするのだ。
 
 結局、どう転んでも男は女を性の対象としてしか見ない。物語は女の側にあるのではなく、女の肉体を媒体とした男の方にしかないからだ。女が自立してるかしてないかは関係がない。
 女が自らを性の対象として見させないためには、そこに「男の物語を付与させない」方法をとるしかない。
 だから、フェミニストたちが「女性を性の対象として見るな!」と言いたいのなら、できるだけ女を魅力なく魅力なくしていけばいいんだけど、それを誰もしようとしてないのは、結局、自分たちを「性の対象」として見させたいことを肯定しているのだ。

 なんか、本の内容に触れる前に、個人的なアイドル論をぶち上げてしまったが、まあ、今、書いたようなことを前提に読めば、女性の方も「なんで男ってスケベなの?」という疑問の答えが見えてくると思います。

 本書にはアイドルヌードについての歴史が非常にコンパクトにまとめてあるのだが、やはの全てを網羅しきれるものではなく、ここはもう少し詳しく触れるべきではなかったか、という箇所や、調査が不充分と思えるところも多々ある。
 篠山紀信の「写楽」シリーズについては、もっとページを割いて解説してもよかっただろうし、従来の倫理観にとらわれない帰国子女のヌード、例えば川上麻衣子のものは、やはりエポックメーキング的な意味合いがあったと思われるのに全く触れていないのはどうしたわけか。
 また、「脱がない歌姫」でありながら脱ぐ以上のセックスアピールを出していた存在として、小泉今日子を筆者は挙げているが、ならば中森明菜の立場はどうなるのか。柏原芳恵は未だにバストトップを出してない、などと書いてるが、これも事実誤認で、ちゃんと脱いでいる。
 杉田かおるや、安達祐実など、子役が女優に生まれ変わろうとするときに辿った過程というのも、考察しておく必要があったのではないか。

 ……なんだか、自分でも「ヌード論」が書ける気になってきたなあ。読者の方で呆れてる人もいるかもしれないが、私が自分で一番呆れているのである。何しろこの本で紹介されている写真集で、その存在を知らないものがただの一つもなかったからだ(笑)。
 ここまで自分がスケベだったとはなあ。にもかかわらず未だに浮気の一つもしてないというのは、私ってもしかしたらモノスゴイ人格者なのではなかろうか(我田引水)。

09月06日(木)
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