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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■日本人の「常識」/映画『妖怪大戦争』
 まあ、タイトルに『妖怪大戦争』とあるから、すっかり騙されてしまうのだろうが、「ほろ酔い気分の妖怪たちの大宴会」になってしまうのもわざと「看板に偽りあり」をやってるんで、「妖怪大戦争」のセリフが、「そこに紛れ込んだだけで状況が何も分かってない」佐田の口から出ているという点に着目すべきなのである。妖怪とか鬼とか、よく山ん中で宴会やってるわなあ。そこに紛れ込んじゃった人間がいかに脱出するかって民話とか、たくさんあるよなあ。昔話の『こぶ取りじいさん』とか落語の『田能久』とかの素養もないのかよ。……って、どうしてこうも「俺たちの世代までだったらすぐにピンと来る素養」がこんなにも失われてしまってるのだ?
 確かに、ある程度の知識がないと「これはどういうこと?」と疑問符の浮かぶ説明不足の描写はある。なぜ妖怪と対決する役目がタダシに振られたのか。タダシの名字が「稲生」であることと、最後に山ン本五郎左衛門(荒俣宏)と神野悪五郎(京極夏彦)が登場することに気付けば、彼が『稲生物怪録』の稲生平太郎の子孫なのだなと分かって、それは疑問にもならないのであるが。でもさすがにこれは地元の三次に住んでる人たちでも知ってる人はあまり多くはない伝承だろうから、気づけと言っても難しいかもしれない。
 加藤と川姫、安倍晴明(長澤俊矢)の間に何があったのかも一切説明はされない。だいたい、陰陽師の格好こそしているけれども、加藤の後ろに立ってたのが晴明だとはパンフを見なけりゃ分かるこっちゃない(ワンカットの出演なら、野村萬斎に来てもらえばよかったのに)。川姫が「ヒトガタ」だったことを考えれば、晴明に式として使われ捨てられ、そこに加藤が付けこんだのだろうと見当はつくが。私が驚いたのは、「将門以前」に加藤が存在していたことで、つまり加藤の正体は千年の地霊だということなのだろう。ともかく関東に人がはびこってること自体が気に入らないのだな。
 このあたりは確かに描写として不親切ではあるが、何となく察することができればいい程度のことで、本筋を辿る邪魔にはならないし、腹を立てなきゃならんことはないのである。私が「これはどうかな」と思ったのは川姫の扱い方くらいで、「憎しみを持つのは人間だけ」のセリフを「絶叫」させちゃちょっと妖怪らしくない。あそこは「所詮タダシもただの人間」と、加藤だけでなくタダシもまた糾弾する(自分で麒麟送子にしておきながらヒドイ話である)シーンなのだから、もっと静かに演じてほしかったところだ。
 三池崇史の映画もかなり見てきたが、その演出は、総じて「雑」なので、ディテールに関しては不満が残ることが多い。意外に海外での評判はよいようであるが、去年の『IZO』とか、ドラマなんてないに等しかったけど、一種のトリップ・ムービーとして見られているのだろうか。『妖怪大戦争』も海外展開が考えられているようであるが、日本文化がマトモに継承されていない日本よりは海外の方がかえって作品を深読みしてくれて好評を得るかもしれない。もしそうなれば、またしても「日本人は自らの文化すら知らない」と失笑を買うことになりかねない。世の親御さん、この映画見てお子さんから「これどういうこと?」と聞かれたら、ちゃんと説明してあげてね。説明できたらの話だけど。
 余談だが、主役(実はそうじゃないけど)の神木隆之介君、『インストール』では上戸彩のチチ触ったり、今度は高橋真唯のフトモモ触ったりイイ思いばかりしているが、学校で友達に苛められたりしてないだろうか。心配である。


 続けて『亡国のイージス』も見たのだが、規定分量をオーバーするので、これは明日の日記で。
 ここまでやたら書かなくてもいいと言われそうだが、まだこれでもかなり内容を省略しているのである。映画の見所も見えないのに批判するやつが多くてホント困るよね。

08月07日(日)
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