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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■ああ、勘違い/『海野十三敗戦日記』(海野十三著・橋本哲男編)
空襲の危険を警告した小説を書いたこともある。まさにそれは国民への衷心、愛国心ゆえであった。しかし精魂込めて書き上げた憂国の小説は、軍部の検閲で発行が停止されることになる。軍部の返事はこうであった。
「帝都上空に敵機が来ることなどありえない」。
これがただの精神主義=妄想であったことは歴史が証明している。あの時代、誰もが妄想に取りつかれていた。戦局が悲惨の一途を辿ろうとも、東京が大空襲を受けようとも、イタリアとドイツが降伏しようとも、日本人は根拠もなく自らの勝利を疑わなかった。
そんな能天気な人々を見ながらも、海野十三は絶望しなかったのだ。現実から目を背けず「世界の移り変わりを見る」ことを決意した。しかしその決意も「折れた」。
広島と、長崎の原爆で。
昭和20年の時点で、既に海野十三は、これが戦闘の名に値しない暴挙であることを激烈に非難している。この敗北が日本単独の敗北でなく、「世界の敗北」であり「科学の敗北」であることを喝破している。それでなお自らの責任を感じ、自決しようとまで考えたのだ。
あの戦争を無条件に信仰し美化する者も、また左翼イデオロギーに取り憑かれて貶める者も、等しくこの日記を読むがよい。たとえその時代に生きていても、妄想に取り付かれ何も見えてはいなかった者の日記と、海野十三のそれは一線を画するのである。
本当に歴史の闇から「蒙を啓く」者があるとすれば、それはやはり海野十三が示してくれた「科学的合理主義」の精神だと思う。我々が戦後60年で忘れてしまったものとは実はそれではないのか。
何だか最近はこの日記で「近頃の若い連中はモノを知らない」と嘆くことが多くて、劇団のみんなとかは「最近、鬱陶しさが増したなあ」と感じてるんじゃないかと思うけど、まあ性分なんでカンベンね。面と向かって説教するような野暮はしないから。
08月05日(金)
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