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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■痺れた指で書いてます/『ボクを包む月の光 ―ぼく地球(タマ)次世代編―』1巻(日渡早紀)
 「始末が付いてなかった」未来路はそのESP能力を買われてアメリカにいる。自ら犠牲になることで輪たちが研究対象にならないよう守っているが、そのために一人娘の日路子(カチコ)とは音信普通になっている状態。これが次巻以降、新たな「事件」の火種になるのかもしれないが、一ファンとしては、彼らがこれ以上苦しい「戦い」などに身を投じていってほしくはないという「願い」のようなものすら感じている。
 かつての紫苑と月の仲間たちとの戦いは、誰が死んでもおかしくない戦いだった。けれど誰も死なない形で収束した。それが素晴らしかったのだ。小さな諍いはあっても、もう彼らの誰かが「犠牲」になるような物語は展開してほしくはないのである。多分男性ファンはみんなこう思っているだろうが、「亜梨子の涙はもう見たくない」のである。まあ私は前作では女性キャラでは桜のファンだったのだが。
 絵柄が前作とはすっかり変わってしまって(前作自体も長期連載の中でキャラの顔はガラリと変わってしまっていたが)、全体的にふやけた雰囲気になってしまっているが、「核」になってるものは変わってないなと思えて、それが嬉しかった。再び描かれた子供のころの輪、確かに絵柄は全然違うのだけれど、そのいたずらっ子っぽい笑顔が、前作第一巻で新体操遊びをしていたころの笑顔に、すんなりリンクしたのだ。
 不明なことに、私はここでようやく十数年ぶりに気が付いたのだ。
 ああ、これもまた、ウェンディに置いていかれる『ピーター・パン』の物語だったのだ、と。そして、ついにウェンディに追いつくことのできたピーター・パンの物語であり、それでも自分がピーター・パンであることを忘れずにいられた少年の物語であったのだと。
 そうだ。バリーのウェンディは決してピーター・パンを待っていてはくれなかった。けれど亜梨子は、木蓮さんは、ちゃんと輪を、紫苑を、転生してまで待っていてくれたのだ。大人になることと、少年のままでいることと、輪はその両方を果たすことができたピーター・パンだったからこそ、亜梨子は彼を待つことができたのだ。これは、「そういう物語」だったのだ。
 そして「新たなピーター・パン」の物語は、ちゃんと、この「次世代編」でも踏襲されている。蓮も、日路子もまた、大人になることの恐ろしさを知ることになるだろう。イニシエーションは常に「恐怖」を伴って子供を蹂躙する。しかしそれでも蓮の、日路子の行く末が、少年らしさ、少女らしさを失わぬ「ハッピーエンド」であることをこの作者は描こうとしているのではなかろうか。それはもちろん、紫苑から輪へ、そして蓮へ、恐らくは未来永劫に伝えられる「少年の系譜」である。日渡さんなら「そこまで」描けるのではないか。今は、それを期待しても構うまいと思う。
 かつてこの物語に私が覚えた感動は、この物語の本質のほんの一部でしかなかった。だからと言って今私が全部を理解したなんておこがましいことを口にするつもりはないが、目からウロコの二、三枚は落ちた気がする。自らの愚かさを認識できるからこそ、本は何度も読み返さないといけないし、年も取らなきゃならんと思うのである。
 もう一度また前作を一巻から読み返してみたいが、残念ながらこれも書庫の山の奥に沈んだままである。……まんがカフェにでも行こうかなあ。

08月02日(火)
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